【ポケスペ考察】ムシャの真意
■BW編でムシャはなぜブラックの元を一度去ったのか?の考察。
ムシャの真意
いきなり結論からいくと、ムシャはブラックのことを一貫していっしょにいたい相手として認識している、というのが私の考え。
BW編で一度彼の元を去ったのも「いっしょにいたい」ゆえに「あえて」だと思う。
ただ、それを証明するためにはけっこう少し説明が必要である。
対象のシーンは49巻#510 VSダイケンキ。
このシーンがややこしいのは、当事者のはずのムシャが一言も発さず、おまけにポーカーフェイスのため、どこに真意があるのか掴みづらいところ。
しかもまるでブラックを裏切るかのように彼の元を去っていく。
その後戻ってくるも、最後までノーコメント&ポーカーフェイスは変わらないため「なぜ一度去って、なぜもう一度戻ってきたのか」はよくわからない。
後にブラックは「修行」、カトレアは「進化すべき必要を感じて」と推測しているが、それが正しいかはやはりいまいちハッキリしない。
単に「力を得るため」なら、別にトレーナーの元を何も告げずに去る必要はないはずである。
だから「去った」ことには、やはり相応の理由があるように思える。
Nとムシャ
そんな中、Nは唯一「ムシャの真意」に接近できたキャラクター。
なぜなら、彼はポケモンの「声」を聞くことができる。
なので、#510 でNが語ったセリフは「ムシャの真意」と呼べるもののはず。
だが、このシーンには注意が必要で、それはこれらのセリフには「ムシャの真意」と「Nの解釈」が混ざっているように思えるからである。
語られた5つのこと
- ブラックの夢の味が変わってしまっておいしくない、食べたくない
- いつでもエサにありつける
- (ブラックとムシャの間にあったのは)ただのギブ&テイク
- 「夢」がわき出てこなくなったんだったら、いっしょにいる必要がない
- もともと絆なんてなかった
この5つがなされたと考えられるやりとりで、このうち
- ブラックの夢の味が変わってしまっておいしくない、食べたくない
- いつでもエサにありつける
は「ムシャの真意」のはず。
なぜなら、これらは単に事実だから。
反対に、
- (ブラックとムシャの間にあったのは)ただのギブ&テイク
は「Nの解釈」と考えられる。
ポケモンが「ギブ&テイク」と考えるのは、どうも馴染まない。
これは犬や猫、あるいは牛でも馬でも羊でもなんでもいいけど生き物と暮らしてみると理解できる気がする。
彼ら彼女らが私たちにくれる愛情は、あげたエサや散歩の回数には比例しない。
私は「ギブ&テイク」は人間的な発想だと思う。
共生関係の生き物を指して「ギブ&テイク」なんて言ったりもするけど、当事者の生き物たちにそういった意識はないような気がする。
実は「絆」はネガティブな言葉
- 「夢」がわき出てこなくなったんだったら、いっしょにいる必要がない
- もともと絆なんてなかった
残りの2つも「Nの解釈」のように思えるが、私はあえて「ムシャの真意」説を推したい。
そのためには、まず絆という言葉の意味を捉えておく必要がある。
絆とは元々「人や馬などに縄や枷を掛けて自由を奪う」という意味の言葉であり、「束縛し自由を奪う」ものが「絆」なのである。
現在一般的な「心や思いによる強い結びつき」という意味は、実は新しい使われ方。
その上でブラックとムシャの関係に想いを馳せると、この二者の間に「束縛し自由を奪うもの」は存在しない。
モンスターボールや図鑑はあるけれど、ブラックは「ポケモンたちを知り」「気持ちを通じ合わせるもの」として使っている。
ムシャもまた、このシーンのように「いつでもいなくなってしまえる」。
だけど、自分の意思で「ただいっしょにいたいからいっしょにいる」。
ブラックとムシャに「絆」はないし、なかったのである。
ネガティブからポジティブな意味に
そうなると、最後に残った
- 「夢」がわき出てこなくなったんだったら、いっしょにいる必要がない
も意味が変わってくる。
「夢」がわき出てこない、とは見方を変えれば「ブラックが何かに『絆』(ほだ)されている」とも読み替えられる。
「夢」がわき出てこない
=「ブラックらしさ」が妨げられている
=自由を奪われている
その絆されている何かとは、背負わされた使命であり、Nと比べて「自分はポケモンのことをちゃんとわかってやれているのか?」という葛藤。
ムシャは「夢」の味の変化からそのことに気付いていて、そうした描写は#505 や#506 にあり、#510 に向けて何度か挿入されている。
ブラックのてもちのポケモンである以上、ムシャは直接的ではないかもしれないけれど、そのことにまったくの無関係ではいられない。
つまり、意図せずだが、ブラックを絆してしまうものの一因を担って「しまって」いることになる。
それらをまとめると、このセリフは
「絆してしまう」関係なら、いっしょにいる必要がない
と読み替えられる。
これなら「絆なんて〜」同様に、ムシャが言ったとしても不思議ではなくなる。
冒頭に示したように、ムシャはブラックと「いっしょにいたい」。
けれどそれは「ポケモンとトレーナーのより良い関係において」であり、「絆してしまう関係」はきっとムシャの望むものではないはず。
だからこそ、ムシャはこのシーンでブラックの元を一度去らなくてはならなかったのだと私は思うのである。
一度別れてしまうという「劇薬」を用いることで、ブラックと(自分を含めた)ポケモンの関係の修復・変化を目指した…というように。
そこから「絆」を断ち切り、ブラックが「ブラックらしさ」を取り戻した時、ムシャはブラックの元に帰ってきた。
これがムシャが一度去り、そしてもう一度戻ってきたシーンの意味だと思う。
まとめ
Q:ムシャの真意とは?
A:ブラックといっしょにいたい。ただし、良い関係において。
Q:良い関係とは?
A:「いつでもいなくなってしまえる、だけどいっしょにいたいからいっしょにいる」や
「いっしょにいることでお互いの良さが引き出されていく」
というような、お互いの自由が保たれた関係。
これはホワイトやNにも同様のテーマがあり、BW編全体のテーマの1つだと思う。
Q:ムシャが一度去ったのは?
A:ブラックとのこれまでの「自由な関係」が変化してしまっていたから、それを取り戻すため。
Q:そこからムシャが帰ってきたのは?
A:ブラックの意志が定まり、それによってかつての「自由さ」を取り戻したことを察知したから。
ちなみにムシャの「進化」(=成長)はブラックの「成長」の暗示でもあると思う。
Q:このシーンの魅力とは。
A:意味や思惑が複雑に絡み合っているところ。
Nはムシャの言葉から「ムシャの真意」を掴み取ることができなかった。「ギブ&テイク」しかり、「絆」や「いっしょに〜」をネガティブな意味として捉えているのがその証拠。
そしてそれは、まだこの時点では彼が「ポケモンのことすら理解していなかった」ゆえであり、それを強く裏付けるシーンとして機能している。
ブラックもまた、ムシャが去ってしまったショックにより意識を失ってしまい、
ムシャに『絆』されて「しまって」いたことを露呈してしまう。
これはブラックにムシャに対する執着があったからで、
「執着」とはすなわち「自由を奪うもの」=「絆」の一つと捉えることができる。
そしてムシャは、この「絆」こそをどうにかしたかったのだと思う。
ブラックが自分にとっていっしょにいたい相手だからこそ、その間に生まれてしまっていた「絆」を何とか断ち切りたかった。
だからこそブラック(が立ち直ること)を信じて、一度彼の元を「去る」という大勝負に出た…と思うのである。
補足:ブラックが51巻で「ちゃーんとオレたちには絆があったんだぜ!」と言っていることについて
このセリフ、よく見るとムシャもNも肯定していない。
ある意味ブラックが「勝手に言っているだけ」である。
もちろん、意味としては正しい。
ブラックとムシャの間には「心や思いによる強い繋がり」があり、それはムシャも認めていることで、
何よりきっとムシャにとって一番大事なことはそれである。
だけど、今回取り上げてきたテーマからすると、ブラックは最後まで「ムシャの真意」がわかっていなかったことになる。
でも、私はそれで良いと思う。
「いっしょにいる」のはただ「いっしょにいたい」からだけでよくて、「気持ちが通じる/通じない」なんてことは二の次でいいんだと思う。
「気持ちはわかる」けれど「ポケモンのことはわからなかった」N、
「気持ちはわからない」けれど「ポケモンのことはわかる」ブラック、
という対比にも繋がって、構図としても複雑で美しい。
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