【ポケスペ考察】サカキ様の半生を考える
■悪役の中でも高い人気を誇るサカキ。一方で謎の多い人物でもあり、その謎を考察。
サカキはなぜ故郷の地を破壊したのか
私が考えるポケスペのサカキの最大の謎は、
1章の「トキワの森の破壊」である。
「他にも謎はいっぱいあるじゃないか」
「そこはあんまり重要ではないのでは?」
と思われるかもしれないが、私はここを考えることでサカキの様々な謎に迫れると思っている。
では、さっそく考察の方に。
まず、サカキは2章の「オレもトキワのトレーナーだ」発言や、
相棒であるスピアーがメガシンカを習得しているなどを見るに故郷の地への愛や誇りを持っていることを随所に窺わせる。
しかし、その態度とは裏腹に、1章では悪事のゴールとして故郷の森を選び、その生態系を破壊している。
この矛盾をどう考えたらいいのだろう?
これに対する私の考えは、サカキはトキワの地に対して愛憎入り混じる感情を抱いている、である。
サカキの反復強迫
愛に関してはあまり問題はない。
これはポケスペの描写通り&先述の通りで、サカキはトキワという地に強い誇りを抱いている。ここに疑いの余地はない。
またサカキに限らず、イエロー、ワタル、ポケモンではピカなど、トキワ出身者は特に故郷に対する想いが深い。
おそらく、トキワという地−−−より正確にはトキワの森が、かもだが−−−にはそうさせる「何か」があるのだろう。
では反対に、憎の部分だが、これはポケスペの描写からは直接窺い知ることはできない。
なので、それを考えるために、少し概念を導入する必要がある。
その一つが、反復強迫である。
これはフロイトが提唱した概念らしい。
簡単に言ってしまうと、過去の解消されていない「ある関係」を代わりに行動として(それが不愉快な状態や行いであっても)強迫的に繰り返し表現してしまうこと、だそう。
これをサカキに当てはめると、
「トキワの森の破壊」は
「何かの抑圧された関係の表現」だったのではないか?となる。
要は、サカキにとって「トキワの森の破壊」は「サカキがかつて誰かにやられたこと」の似姿なのでは?ということである。
トキワの地はその生贄として、あるいはその象徴として、選ばれたということである。
余談ながら、こう考えるとスピアーの態度も理解できるようになる。
スピアーもまたトキワの森の出身であり、ピカの態度から類推すれば、トキワ出身者からしたら故郷の森の破壊者に仕えるのは耐えられない状態のように思える。
しかし、スピアーの態度からそうした葛藤は伺えない。
私はこのことは矛盾ではなく、むしろサカキの「トキワの森の破壊」
=反復強迫を裏付けているのだと考える。
サカキにとって「トキワの森の破壊」は反復強迫であるとすると、(善悪といった倫理は一旦抜きにして)それは「やらずにはいられない」行為である。
そうした「やらずにはいられない」行為に従うのは、
てもちポケモンであり、そしておそらく一番の相棒であるスピアーからしたら、むしろ極めて当然なのではないだろうか?
他作品で言うと、「マギ」(大高忍)の練白龍の堕転と、
それに付き従ったジュダルのイメージがこれに重なる。
サカキは虐待された子どもだったのでは?
話を戻す。
サカキの「トキワの森の破壊」
=反復強迫を考えるために、
「トキワの森の破壊」の部分の読み替えをしてみる。
まず、「トキワの森の破壊」は、サカキがこの地に誇りや愛を抱いている以上、
「トキワの森の破壊」=「愛しているものを踏みにじる」
と読み替えられる。
もうこれで半分は答えが出たようなものである。
次に、サカキはこの行いをロケット団のボスであると同時に「ジムリーダー」として行っている点に注目する。
ここにはジムリーダーという肩書きがもたらすメリット、のような合理性もあっただろうが、
それ以上に、私はサカキにとってはこの構図がしっくりくる
=反復強迫の場としてふさわしい、という理由があったように思う。
それは何かと言うと、本来は守る立場の人が、逆にその対象に攻撃を加えている、という構図。
ポケスペにおいてジムリーダーは街を代表する人たちであると同時に、街の有事には先頭に立って街を守る存在であることは何度も描写される。
そうした存在が、自らの街に攻撃を加える。
いくらサカキがジムリーダーであることは人々に忘れ去られているとはいえ、この構図の持つ意味は大きいと思う。
加えて、ジムリーダーの職を放棄した、ということはもう一つの意味を帯びる。
サカキがトキワから去って以来、トキワのトレーナーたちは指導してくれる者を失い「無力な存在」になってしまったことが語られる。
これは、この構図において「被攻撃者」が「無力な存在」だったことを示唆する。
サカキにおいて言うなら、サカキがかつて「被攻撃者」だった時は「無力な存在」だったのではないのか?ということである。
サカキが反復強迫の場を作り出す際には、無意識的にトキワの人々を無力な存在に貶めたいという欲望があったように思われ、
そうした面においても「ジムリーダーであること」(でありながらいなくなること)は有効に働いたのだと思う。
以上のことから、私はこの二つの姿(/構図)は「虐待なるもの」とよく似ていると感じる。
ゆえに、サカキの「トキワの森の破壊」はかつての「虐待」の反復強迫であり、かつての「攻撃者」を自身が演じてみせている可能性が示唆され、
ここから私は、サカキは「かつて虐待された子ども」だったのではないか?と想像するのである。
サカキとシルバー
こうした視点に立つと、サカキが「悪の道」を進み続ける理由もすんなりと理解できるようになる。
根拠について詳しくはこの記事を読んでもらうのが早いけれど、
それは「サカキが根っからの悪人だから」ではなく、
前章で推測したような「過去の傷」が未だに解消されていないからだと考えられる。
過去の経験が解消されず抑圧されているからこそ、その「はけ口」が必要となる、というわけである。
そして、この視点はそれだけでなく新たなもう一つの視点も発見する。
それは、「なぜサカキはシルバーを大事にしているのか?」ということに対する応答である。
一応言っておくと「サカキがシルバーを大事にしている」について、
それを感じさせる描写はいくつもあるし、
加えてこのブログはポケスペを読んだことのある人を想定しているので、ここに関する証明は省く。
話を戻して、ここに安易な考え方を採用してしまうと、
サカキが「かつて虐待された子ども」だったとした場合、
自らの子どもを愛するのは難しいのではないか?と思ってしまう。
もちろん、私は「虐待された人は必ず道を踏み外す」とか
「子どもを愛することはできない」なんてことが言いたいわけではないし、そもそもそんなことはありえない。
とはいえ、サカキに関して言うと「トキワの森の破壊」なんてことをやってのけた人物である。
起こした事態の大きさはサカキの抱く衝動の大きさを窺わせ、同時にそれは「過去の傷」の大きさも窺わせる。
そうした人物が、自分の子どもに自らの傷を連鎖させることなくいられたというのは、どこか奇跡めいたものを感じずにはいられない。
けれど、私はここには「そうした奇跡」が起きていたのだと思う。
サカキは「破壊者」の一面と、
自らの傷を見つめ、
その上で弱きものを慈しむことができる
「勇気と強さを持った人物」の一面を併せ持っているのだと私は思う。
余談ながら、サカキがカリスマたるゆえんはこうした「人としての器の大きさ」があるから、という理由もあると思う。
とはいえ、サカキとシルバーの関係について、特に5章や9章の問答について個別に見るのは、長くなりそうなのでまた別の機会があればその時に。
サカキとロケット団
最後に、サカキがロケット団を結成した理由について考える。
結論からいくと、その理由とは「シルバーがいなくなったから」である。
いきなりポケスペの発言と矛盾する結論が出てきたと思うかもしれないが、少し待って欲しい。
私が言ったのは「シルバーがいなくなったから」であり、
「シルバーがさらわれたから」ではない。
この違いは重要である。
ここからの考察は、43巻(9章)のサカキと図鑑所有者たちのやり取りを下敷きにしている。
仮に「さらわれたから」だと、結成の理由は「取り戻すため」とか「さらった者に対する復讐」となる。
が、サカキはそもそもの「さらわれたから」を否定し、必然的にそれは上記のような「理由」を否定する。
描写から見ても当然で、
例えば「カントー支配」や「トキワの森の破壊」と「シルバーとの再会」に直接的な関係はない。
あったとしてもせいぜい「バタフリーの羽ばたきが台風を起こす」くらいの繋がりである。
加えて、もし本当に再会や復讐が理由であるなら、9章の結末を考えれば再結成する必要など全くなくなる。
その点においても、「シルバーがさらわれたから」という理由は否定される。
よって、ポケスペの描写通りに、ロケット団の結成の理由は「シルバーがさらわれたから」ではなくなる。
では「いなくなったから」だとどうなるかと言うと、
この場合、結成の理由を表立って見つけることはできなくなる。
なぜなら「いなくなった」という出来事が意味するのは「引き金」にすぎず、
結成の理由を探すとするなら、それは、
それによって噴き出してきた「サカキの中で既に用意されていたもの」となるからである。
なので考えるべきは、この「引き金」が持っていたインパクトと、「何が噴き出してきたのか」の二点である。
そしてそれを明らかにすることが、ロケット団結成の理由を明らかにすることである。
悪の道はいずれ終わるのか
とはいえ、ここまで読んでいる根気のある人ならもはや説明不要だろうが、
「噴き出してきたもの」とは「過去の傷」である。
このことは最初に説明したように、サカキの悪事を見ればそれが「過去の傷」をなぞるようなものであることがそれを示唆する。
なので問題は「それまで抑えていることができたその衝動がなぜ噴き出してしまったのか」だが、
この問いがそのまま「『引き金』のインパクトの大きさ」の答えである。
「シルバーがいなくなってしまったこと」は、
サカキにとってそれだけの事態だったのである。
それは、今までは「何とか抑えることができていたもの」を、
「もう抑えることができなくなった」事態だったのである。
そしてそのことは、サカキにとってシルバーがいかに「癒しの存在」だったのかも意味する。
私はサカキを「自らの傷を見つめ、その上で弱きものを慈しむことができる人物」と書いたけれど、
それは単にサカキが「傑物」だからというだけでなく、同時に「シルバーに救ってもらってもいたから」だと思う。
だからサカキにとって、シルバーを慈しみ、成長を見守るということは単なる育児という意味を超えて、「セラピー的」なものだったのだと思う。
これが奪われたとするなら、サカキがそこで感じたインパクトたるや。
想像するに余りある。
ちなみに、シルバーは「さらわれたこと」による深い傷を負って生きているけれど、
26巻301話や43巻460話の決意する際の態度を見るに、親(=サカキ)による「虐待」や「抑圧」の痕跡はないように私の目には映る。
そしてそれはなぜかと言うと、当然「幼い頃にちゃんとサカキに守られていたから」のはず。
サカキは、本当にシルバーに自らの傷を引き継がせることなく、慈しむことができていたのだと思う。
ちなみにここで、「虐待」や「抑圧」といった「攻撃」には二種類あり、それを区別する必要があることを述べておく。
その違いは、「隠蔽」の有無。攻撃者が攻撃者であることが隠蔽されているかどうか、である。
この記事では以下、「虐待」「抑圧」と「 」の場合は隠蔽がない直接のもの、
『虐待』や『抑圧』と『 』の場合、隠蔽されたものを指している。
シルバーの例でいうなら、シルバーは「仮面の男」に「虐待」や「抑圧」を受けているけれど、ここでは攻撃者(=「仮面の男」)は隠蔽されていないため「攻撃者を憎む」ことができる。
この「憎しみ」は、いずれ昇華し得る「憎しみ」である。
そしてそれは、シルバーが証明している。
だがこの攻撃者が親や教師であったなら、時に攻撃者を憎むことは禁止される。
この『抑圧』こそが、人を破壊に駆り立てるとアリス・ミラーは言う。
サカキが受けたであろう『虐待』は、おそらくこれである。
この『抑圧』によって生じる『憎しみ』−−−感じる「憎しみ」そのものでなく、「憎しむことができない」ことによる絶望=『憎しみ』−−−は、
いつまでも昇華することがないため、終わることがない。
そしてこれが、飽くなき破壊衝動の源泉となるわけである。
図らずも結論にたどり着いてしまったけれど、
この「飽くなき破壊衝動」が、ロケット団の結成理由だと私は思う。
シルバーによって癒されていた「それ」が、
シルバーがいなくなってしまったがために抑えるものがなくなり、
よってサカキを「どうしようもなく」悪の道へと誘う。
こうして理解すれば、サカキの生き方が一本の線でちゃんと繋がっていくと思うのである。
最後におまけ。
9章でロケット団を再興したのは、もはやこの「吹き出た衝動」はサカキ自身も止めることはできず(シルバーとの再会などで和らいだりはしただろうけれど)、
加えて、ロケット団に所属している人たちは、こうしたサカキの「同類たち」であるから、だと私は思う。
9章の、「再興宣言」の際の下っ端たちを見れば、いかに彼ら彼女らにとってサカキが拠り所なのかは一目瞭然である。
あそこの下っ端たち、いわゆるモブなのに、様々な反応かつすごく良い表情をしているのである。
おそらくカリスマたるサカキにとって、こうした人たちを放っておくことができないのだと思う。
多分、これは倫理を超えた部分での「情け」である。
だから、サカキはロケット団としての歩みを止めることはない。
けれど、シルバーを待つと言ったように「止められることも望んでいる」。
というか、無意識ではシルバーに止められることを望んですらいると思う。
サカキにとってシルバーは、おそらく唯一の「破壊衝動」を止められる存在であるのだから。
これはサカキのエゴにすぎないかもしれないけれど、そういう構図を私はここに見てしまうのである。
まとめ
まずは、ここまで辿り着いた人はお疲れ様でした、ありがとうございます。と言いたい。
手短にまとめるつもりが、かなりの分量になってしまった…
念のため付け加えておくと、最後の章で二つの虐待・抑圧を取り上げたけど、
どっちがマシかとか、そういうことを私は言うつもりはない。
どっちも悲しい出来事である。
けれど、そこで生じる傷やその後の現れ方が異なっている以上、区別して書く必要があるため、そのように書いているだけである。
ここまで読まれた人にはこのような心配は必要ないとは思うけれど。
言いたいことは本文や後に公開する議論編で言い切ったので、ここは余談をまとめのかわりとしたいと思う。
ここまで来ておいてなんだけど、ハッキリ言って、
私のここまでの考察は「勝手読み」だと思っている。
というか、全体的に私の考察ってそんなのばっかだけれど。
少なくとも、1章の時点でシルバーに関する設定があったとはとても思えない。
なので、厳密にいえばサカキの設定の多くはきっと「後付け」であり、
よって、「後付け」に立脚して議論を組み立てている私の考察は「勝手読み」の色彩を帯びる、と言えるだろう。
でも、それがどうしたと思う。
私は「面白くもない完璧な伏線」よりも「面白い後付け」の方が大好きだし、そっちの方にこそ意味があると思う。
というか、まず「伏線」か「後付け」かなんて作者以外は基本的に知る由もない*1。
そもそも、この区別が問題になるのは「考察するような作品において」(正確には、「考察するような変な人たちにとっては」)だろうけれど、それにどんな意味があるのだろう?
重要なのは「伏線」にせよ「後付け」にせよ、そこで何が描かれていて、受け取り手が何を受け取るかだと思う。
伏線の巧みさに感動するもよし、後付けに憤るもよし、
そして「勝手読み」するもよし…と、態度は読者に委ねられている。
もちろん、言うまでもなくあるラインのリスペクトやマナーは必要だけれど。
それを踏まえて言うと、私は本当にポケットモンスターSPECIALをすごい作品だと思ってリスペクトしている。これだけ勝手読みしているとそう見えないかもだけれど
そう感じるのはなぜかと言うと、設定の巧みさと、それを活かす描写があるからだと思っている。
それらのことを私はとても尊敬しているし、これがポケスペの面白さの源だと思う。
ここで言う設定の巧みさとは、伏線の緻密さに加えて「後付けの使い方の上手さ」だと思っている。
だから、こうして好き勝手に「勝手読み」を“させてもらえる”のである。
そうでもなきゃ、こんな量を尽くして語りたいと思えるような作品に仕上がるはずがないと思うのだけれど、どうでしょう?
少しリアルの方に目を向けると、そもそも現実だって「『ある行い』がどのような意味を持っていたのか」を発見するのって大抵だいぶ時間が経ってからのはずで、
ならば現実の方こそ、いわば「後付け」の連続で満ちているのである…と強引に締めくくって今回はおしまい。
■テキストの元になったものはこちら。PC推奨。
(現在準備中)
*1:それが明確に矛盾や破綻を起こしていたらわかるだろうけれど