闇からの目覚め(アリス・ミラー)について
新曜社さん、復刊してください。(※2022年3月時点)
どんな本?
本の情報より。
著者アリス・ミラーは1923年ポーランド生まれの(元)精神分析家、著述家。
1978〜81年にかけて、しつけや教育にひそむ暴力性をテーマにした三冊の本を刊行。それらは世界ベストセラーになったそう。
この本はそんなアリス・ミラーの翻訳されている本の中で一番新しいもの*1。(多分。2022年3月時点)
出版は原著が2001年、訳書は2004年。
訳者は著者の翻訳ではお馴染みの山下公子氏、出版社は新曜社。
副題は「虐待の連鎖を断つ」。
感想/内容で重要な部分
ここからは、このブログに関連する部分に関する感想みたいなもの。
アリス・ミラーの一冊目としておすすめ
本で語られている主張は、著者の従来のものと一貫したものである。
だから、一冊でも著者の本に触れたことのある読者にはあまり目新しい発見はないかもしれない。
しかし、使われている言葉や説明に関して微妙な変化があり、「三部作」以降の著者の思考の変化・変遷が感じられる点が面白い。
むしろ、既読の読者こそそうした点が見えてくるので、「知っているから」こそ楽しめる。
そして、精神分析のフィールドから決別し著述に専念するようになった著者の“ねらい”を反映しているかのように、この本では専門用語の使用は控えられ平易な言葉で語られている。
衝撃度で言えばもちろん「三部作」、特に『魂の殺人』の方が上回るだろうが、読みやすさ・洗練度を考えると、この本は著者の世界の入り口として最適だと感じた。
要は、未読・既読どちらの人にとってもお勧めの本ということです。
新刊、手に入らない(品切重版未定か絶版なのかはわからないけれど)んですけどね。
このご時世だからこそ、復刊してくれませんかねぇ。
中古の値段とか見てたら、刷った分くらいはふつーに売れる気がするんですけどね。
私が感じた著者の変化
著者の主張については『魂の殺人』の感想記事で書いているので、興味のある人はそちらをどうぞ。
以下では、先述の、私が感じた「著者の変化」について簡単に。
「助けてくれる証人」と「事情を弁えている証人」
この2つは、この本のまえがきで触れられている概念で、この本の中でも重要な意味を持つ言葉である。
1978〜81年の「三部作」ではこうした概念は触れられつつもこのような名前は与えられていなかった。
初出は『拒まれた知』*2(ミラー、1988)らしいのだが、この本は日本語未訳で、私は読めていない。
詳しくは読んでいただくとして、簡単にだけ説明する。
「助けてくれる証人」とは、傷つけられている子どもに寄り添い、気持ちに理解を示してくれる人のことである。
どんな人でもその役割を果たすことができ、例えば
学校の先生、近所のおばさん、家の使用人かもしれませんし、子どものお祖母さんかもしれません。その子の兄弟姉妹が「助けてくれる証人」の役割を果たすこともよくあります。(p.ii)
という。
『魂の殺人』でも、こうした人の重要性は散々に強調されているが、この本でもやはり重要視されている。
子どもがどんなひどい境遇に置かれていたとしても、こうした人が一人でもその子ども時代にいてくれれば、子どもは救われ得ることを著者は伝記研究の発見などから指摘する。
その最たる例はドストイェフスキーだという。(p62)
反対に、そうした人の不在は子どもに決定的な悪影響をもたらす。
この例は、ヒトラー、スターリン、ナポレオン、ミロセヴィッチ、毛沢東など。(p.iii、p62)
「事情を弁えている証人」とは、「三部作」ではあまり触れられていない概念であり、私は結構“目から鱗”な感じを受けた。
こうした人の重要性は著者も意識していただろうが、「助けてくれる証人」と比べると以前の著作ではあまり触れられていなかったように思うし、それがこうして並ぶものとして扱われるようになっていることに対して“目から鱗”な感じを受けたのである。
これは成人後の人に対し「助けてくれる証人」の役割に似たものを果たしてくれる人のことである。
「子ども時代に起きたことが人に何をもたらすのか」を理解し弁え、その傷に寄り添う振る舞いを示す人のことである。
心理療法家は当然として、学校の教師、弁護士、カウンセラー、本を書く人などもこの役割を果たすことができると著者は言う。
以下に書くことは本に書かれておらず、私が思ったことに過ぎないが、著者の「三部作」時代の精神分析の世界での格闘は、おそらくこの「事情を弁えている証人」を精神分析のフィールドに増やすことを目的にしていたのだと思う。
結果を見れば、おそらく著者の望んだ結果にはならなかったのだろうが。
と同時に、読者からの(予想外の)反応から、著者は「その他の場所」に広がる可能性を感じて、それが精神分析からの決別と著述への専念をもたらしたのだと思う。
あとは、まえがきの構成(p.iv〜vi)を見るに、文学に携わる者もまた、この役割を果たすと著者は考えているように感じる。
文学の重要性は『魂の殺人』などでも繰り返し述べられていることである。
一応付け加えておくと、もちろん、大抵の文学者は
「弁えている」のではなく「うっかり書いてしまう」という形で「『事情を弁えている証人』の役割」をやってしまう
のだろうけれど。
おわりに
あとは、感覚に過ぎないが「責任」という言葉を著者は以前の著作より使うようになっている印象を受けた。
もちろん、ここで言う「責任」とは罪に対する「罰」ではなく、「自分のありようを改める」という意味での責任である。
他にも、脳科学の研究や新しい療法への言及も増えており、ここもまた時代や著者の変化を感じる点である。
これは本の内容とは直接は関係ないけど、イルゴイエンヌ(マリー=フランス・イルゴイエンヌ)の名前が出てきてちょっと驚いた。
あくまで、ある患者がイルゴイエンヌの著作をきっかけに回復へと進み始めた、という文脈にあってだけなのだが、ちょうど私がイルゴイエンヌを読んでいたことと、そちらの本でミラーが何度か言及されていたので、びっくりしたのである。
こういう奇妙な繋がりに出会った時、読書は楽しくなりますよね。
まとめとしては、繰り返しになるが、
- この本はミラーの一冊目としてお勧めであり、
- ミラーを読んだことのある人にもお勧めであり、
- だから復刊してください
ということである。(↑読んだ人ならピンと来るだろうが、これはミラーのパクリオマージュ)
ここで繰り返し叫んでもなーんの意味もないことは承知だが、
復刊してください、新曜社さん。
お願いします。
今回はここまで。私にしては簡潔にうまくまとめることができたぞ。
それでは!
参考文献
マリー=フランス・イルゴイエンヌ、高野優訳『モラル・ハラスメント』1999,紀伊国屋書店
アリス・ミラー,山下公子訳『才能ある子のドラマ(新版)』1996,新曜社
アリス・ミラー,山下公子訳『闇からの目覚め』2004,新曜社
アリス・ミラー,山下公子訳『魂の殺人(新装版)』2013,新曜社