けいのブログ

Key's Bricolage-log

【ポケスペ考察】「本編の主人公」について

■実は特殊な「本編の主人公」という表記について考察。

 

 

 

ポケスペにおける「主人公」

ポケットモンスターSPECIALにおける「主人公」について説明しようと思ったとき、それは意外と難しいことに気付く。

 

まず、そもそも「主人公」とは実のところ何ぞや?という問題に突き当たる。

主人公(しゅじん-こう):事件や小説・劇などの中心人物。ヒーローまたはヒロイン。「悲劇の主人公」デジタル大辞泉

主人公とは何? Weblio辞書

この説明に従うなら、ポケスペには主人公がいっぱいいることになるし、事実そうである。

 

それを端的に示しているのが各巻の作者のことばであり、そこでは「主人公」だけでなく「主人公たち」という表現もよく使われ、その内には3章の、人間ではないスイクンすら含まれている。

 

主人公:1(レッド、日)、4(イエロー、日)、10(クリス・スイクン、山)、30(山)、38(※主人公「然」ダイヤ、山)、43(ブラック、山)、59(日)

主人公たち:8(ゴールド・シルバー、真)、13(山)、14(レッド〜クリスの7人、山)、16(ルビー・サファイア、山)、31(ダイヤ・パール・プラチナ、日)、38(ダイヤ・パール・プラチナ、山)、43(日)

 

主人公たち(例外):36(※ゲームの主人公、日)

 

※通巻版のみ

※数字は巻。日=日下秀憲、真=真斗、山=山本サトシ先生の発言。

※略称のみの巻は、言葉の指す対象がやや曖昧な場合のもの

 

全体では14(15)回。

「主人公」「主人公たち」がそれぞれ7回ずつ。

日下先生が5(6)回、

真斗先生が1回、

山本先生が8回。

 

レッドが2回、

グリーンが1回、

ブルーが1回、

イエローが2回、

ゴールドが2回、

シルバーが2回、

クリスが2回、

ルビーが1回、

サファイアが1回、

ダイヤが最多の3回、

パールが2回、

プラチナが2回、

ブラックが1回、

そして、ゲームの主人公たちが1回。

 

指している対象が曖昧であると考えられるものが4回。

 

スイクンポケモンでは唯一の1回。

 

 

以上、もし間違いがあればご容赦を。

 

 

と、こんな感じで、ポケスペにおいて「主人公」という言葉の指す範囲は広い。

 

おそらくそれはポケスペが群像劇という側面を持っていることの表現であり、そしてそれがポケスペの魅力の一つであることに異論はないだろう。

 

 

「本編の主人公」

ところで、「本編の主人公」というあまり聞き馴染みのない言葉を知っているだろうか?

…別に、この言葉自体は全く珍しいものではないけれど。

 

けれど、私はこの言葉はポケスペにおいては結構な意味を持っている言葉だと感じる。

なぜかと言うと、使われ方がかなり意図的かつ限定的であるからである。

 

これがどこで使われているのかと言うと、各巻の登場人物紹介である。

しかし、使われている人物は、上記の作者のことばに比して圧倒的に少ない。

 

(13)14〜15巻のゴールド

XY編先行版1〜6巻および56〜61巻(2022年3月時点)エックス

サン・ムーン編先行版1〜6巻のサン

の3人のみである。

 

 

加えて、登場人物紹介にはただの「主人公」という言葉は全くと言っていいほど登場しない。

上記のように、作者のことばではよく使われているのに。

 

登場するのはただ一度13巻のゴールドのみであり、*1*2

ゴールド

熱いハートの主人公。うずまき島で目覚めクリスと合流し…!!(13巻、登場人物と今までのお話し)

そしてそれも14〜15巻では「本編の主人公」という表記に変わっている。

ゴールド

本編の主人公。時間(とき)の支配をもくろむ敵、仮面の男に挑む!!(14〜15巻、登場人物と今までのお話し)

よって、登場人物紹介においては

なぜか「主人公」という言葉よりも

「本編の主人公」という(あまり普通には使われない)言葉の方が多く使われている

ということが起きている。

 

 

ちなみに、聖典ポケSPediaでは一転して「本編の主人公」という表記は、私の見落としがなければ一度も出てこない。

こちらでは「主人公」はよく使われているのに、である。

参考までに、p22ラクツ)p26(サン・ムーン)、p130(イエロー)、p135(レッド・ブラック)、p188(レッド〜ゴールドまでの5人)、p189 (クリス)、p190(ダイヤ・パール・プラチナ)、p191(ブラック)、p192ラクツ・ファイツ)、p193(エックス)…などなど。

 

 

この中で特に注目してほしいのはp26のサンとムーン。

 現在絶賛連載中の第十四章は、温暖な楽園・アローラが舞台!主人公は運び屋サンと薬剤師のムーン。(後略)(ポケSpedia、p26)

※筆者注、ここでの「現在」というのはポケSPedia刊行時点のもの

サン・ムーン編先行版の登場人物紹介ではサンのみが「本編の主人公」であり、ムーンにそうした記述はないのに、こちらではムーンも含めて「主人公」である。

そして、大前提として、ムーンが「主人公」であることに読者であれば特に異論はないだろう。

 

だから、この記述は正しい。

しかし、「本編の主人公」はなぜかサンのみなのである。

 

このことから、「主人公」と「本編の主人公」は、何かしらの意図を持って使い分けられていることがわかる。

 

 

ゴールドにおける「本編の主人公」

では、この「本編の主人公」という言葉が何を指すのかというと、私は「読者へのガイド」だと思う。

 

この言葉は物語の外側かつ、物語への導入を担う登場人物紹介に書いてあるものなのであり、よって、それ以外に理由は見当たらない。

 

 

また、冒頭で見てきたように、ポケスペには数多くの「主人公」たちがいる。

ただ一人の「本編の主人公」という考え方は、ややもすれば、ポケスペ的には“邪道”と言ってもいいのかもしれない。

 

なればこそ、この「本編の主人公」という言葉には何かしらの意図があり、それはおそらく「ガイド」だと私は思うのである。

 

 

ただし、この「ガイド」の意図は、ゴールドとエックス、サンでは異なっていると私は考える。

まずは、ゴールドについて。

 

ゴールドでやや不可解なのは、9巻*3からでも12巻からでもなく半端な13巻から書かれていること、また、HGSS編では書かれていないことである。

 

だからこれは、作画交代の影響だと思うのである。

 

「作画交代してもポケスペは連続した物語である」ことを示すのに相当心を砕いていたことは、

当時の公式HPや、Twitterの#ポケスペ回想録を読むとよく伝わってくる(ポケSPedia、p131なども参考にされたし)

 

だからその一環、もしくは象徴として、3章の“主人公”たるゴールドに「本編の主人公」という言葉を与えることでそれを表現していたのでは、と私は思う。

 

 

13巻だけ違うのは、(都合の良い解釈にはなるのだが)初めてこの言葉が登場したということもあり、

表記の意図が定まっていなかったことによる「表記揺れ」ではないのかなぁ。

 

また、12巻に書いていないのは、まだ12巻の冒頭の時点ではゴールドは完全に再登場したわけではないから、とか。

これも都合良い解釈ではあるけれど。

 

 

一方でこれらがもし正しいとするなら、その必要性のなくなったHGSS編ではそうした表記がなくなった、と繋げて説明することもできたりする。

 

 

エックス、サンにおける「本編の主人公」

では、エックスやサンの場合どうなのだろうか?

当然、こちらも「読者へのガイド」であることは間違いないはずである。

 

しかし、こちらにはいくつか検討しなければならない点がある。

それは、私が思いつく限り、

  1. なぜXY編から始まったのか?
  2. ORAS編で消えているのはなぜなのか?
  3. サン・ムーン編で復活したのはなぜなのか?
  4. 剣盾編で再び消えたのはなぜなのか?

の4点である。

 

 

1. なぜXY編から始まったのか?

これはもうズバリ、

先行版が出るようになったから

ではないだろうか?

 

作画交代ほどではないかもしれないけれど、先行版が出るようになったことはポケスペにおいて大きな変化であることに間違いない。

それに対応しているのでは、という仮説。

 

 

先行版の想定する読者はおそらく、通巻版を追っている長期の読者だけでなく、ポケスペを知って日の浅い読者も含まれているはずである。

そうした読者に、ポケスペの、群像劇という「少し複雑な物語」をわかりやすくするために「本編の主人公」という表記を採用したのではないだろうか?

 

 

もちろん、これが合っているのかも、

合っていたとしても誰の意図(作者?編集?それともその他?)で、実際にどう機能しているのかは知らないけれど。

 

それは、読んだ人それぞれに聞くしかない。

 

 

2.ORAS編で消えているのはなぜなのか?

「先行版」という括りを前提にするなら、ORAS編のルビーにも書いていないと、おかしい。

しかし、ORAS編にそのような表記はない。

 

私はこれは、

  1. ポケスペ的原点回帰
  2. ルビーは既に登場したことのあるキャラクター
  3. 掲載媒体の違い

ということだと思う。

 

多分、ポケスペ的には「本編の主人公」とは書かない方が主流である。

誰か一人のキャラクターに「(本編の)主人公」とは書かないことで、主人公が複数いることを逆説的に表現できるからである。

 

「書かない」こともまた、

ガイド」として機能し得る。

 

 

また、ルビーはエックスやサンと異なり、既に登場したことのあるキャラクターである。

だからある意味、わざわざ書かずとも多くの読者はルビーが「本編の主人公」であることは知っている。

 

また、掲載媒体も「コロコロイチバン」ではなく「クラブサンデー」「サンデーうぇぶり」であった。

この読者層はきっとコロコロイチバンよりも広いもので、それにはポケスペを知っている読者も多く含まれているはずである。

 

 

それらを考えると、ルビーにはエックスやサンと違い「本編の主人公」という表記は特に必要ない、と判断されたのかもしれない。

 

 

3.サン・ムーン編で復活したのはなぜなのか?

これはエックスと同様の理由だろう。

サンは

  1. 新しい主人公(の一人)で、
  2. 掲載誌も同じ「コロコロイチバン」、
  3. 先行版が出ている

と、エックスと条件がほとんど一緒だからである。

 

 

ちなみに、サンにはエックスにはなかった面白い点がある。

 

 

エックスの登場人物紹介の文章は先行版から通巻版に至るまで全て同じ

のに対し、

サンの登場人物紹介の文章は先行版5、6巻でそれぞれ変わっている

のである。

 

しかし「本編の主人公」という表記は一貫して書かれていて

そのことからは、この「本編の主人公」という表記が無意味に書かれたものではなく、また、意味もなく残っているわけではなさそうなことがわかる。

 

 

4.剣盾編で再び消えたのはなぜなのか?

最大の問題が、剣盾編では創人を含め誰にも「本編の主人公」とは書かれていないという問題。

エックスやサンの流れからすると、ルビーはともかくとしても、少なくとも創人には書かれていないとおかしいような気がするのである。

 

けれど、創人には1〜4巻時点では書かれていない。

このことは、どう考えたら良いのだろう?

 

 

もちろん、そこにどのような意図があるにせよ、その狙いはやはり「読者へのガイド」のはずである。

 

ただし、これが

「単に書かれていない」

なのか

「あえて書いていない」

なのかは全くわからない。

 

けれどそこにある意図は、前者と後者ではまるで違ったものになるかもしれない。

少し、考えてみたい。

 

 

「単に書かれていない」とするなら、これは多分、原点回帰になるのだろう。

 

ポケスペにおいてはやはり「本編の主人公」と書かれるのは少数派で、例外的なのだから。

そしてエックス、サンに書いてあるからといって、創人にも書かなければならない理由は実のところない。

 

 

一方、もし「あえて書いていない」とするなら、そこには意図があるはずである。

 

ここまでに見てきたように、「主人公」や「本編の主人公」という表記は、おそらく適当に書かれている言葉ではない。

もちろん、それをもって「あえて書いていない」とまで読むのは、やや飛躍しているけれど。

 

 

けれど、相手は伏線と辻褄合わせの宝庫たるポケスペである。

あらゆる可能性は一応試しておきたくなりませんか?

 

 

無茶苦茶な説を一つだけ

とはいえ、私も色々考えてみたけれど、どの可能性もあと一つという感じで、はっきりと「こうかも?」と言えるものは思いつかなかった。

 

それでも一つ、突飛な説を書いておくと、

創人が実は“主人公”ではない*4ことを、「本編の主人公」とは書かないことで暗に示唆している

という説はどうでしょう?

 

剣盾編は「主人公が実は主人公ではない」といういわば叙述トリック的な章であり、その証拠を1巻から仕掛けてあるという説。

これは後付けではなく、ちゃんと物語の最初から示しておきましたよー、みたいな。

 

 

もちろんこれは穴ボコボコの説なのだけれど、この説の数少ない(?)メリットの一つは

創人の御三家問題をシンプルに解決できる

点である。

 

創人がスティックンをてもちにしたのが図鑑所有者における「サイクルの逸脱」に見えるのは

創人をサンの後に位置付けようとするから

であり、そのことは逆説的に、

「創人をサンの後に位置付ける」のをやめれば解決する

ことを意味している。

 

ゴールドやエックス、サンの系譜はいわば“主人公”の系譜である。

そこに創人がいないのは、

「本編の主人公」と書かれていてもよさそうなのに書かれていないこと同様に、

「創人がそうした“主人公”ではない」ということの暗示

なのかもしれない。

 

 

繰り返すけれど、これは無茶苦茶な説である。

御三家問題に関して一つの筋は通るけれど、それ以上に穴が多すぎる。

 

 

エックスやサン、ゴールドの系譜の共通点(に見えるもの)は、

ゲームにおける男主人公の外見がモチーフになっている

ことであり、御三家の問題を一旦横に置いておくと、創人はここに属する。

 

外見という共通点はシンプルかつ筋が通っていて、ここを超える理屈を考えるのは、正直難しい。

 

 

けれど、反論がないわけではない。

それは、創人を位置付けるならグリーン〜パール(+ベル〜ハウ)の系譜になる、という点。

 

…むしろ

「なおさらおかしくないか?」

と思われるかもしれないが、少しお付き合いしていただきたい。

 

 

このサイクルは

ゲームにおけるライバルの外見がモチーフになっている

が共通点に見えるが、エメラルドが逸脱している。

 

ホウエンにおいて、この条件に当てはまるのはミツルである。

外見がそれぞれのサイクルの共通点、という説は、実は少し怪しい。

 

 

おまけに、エメラルドはどちらかというとエックスやサンのように「本編の主人公」と書かれていてもおかしくないような、“主人公”という立ち位置のキャラクターである。

それに、「ルビーのライバル」という感じでもない。

 

なぜ彼は“ライバル”のサイクルにいるのだろう?

 

 

ここで前提の方に目を向けてみると、そういえばこのサイクルは「非公式な解釈」のはず…である。

 

だから、このサイクルが「読者が思っているルール」で成立しているとは、限らない。

何か、作者側しか知らないような「何か別のルール」によって動いている可能性があるのである。

 

もちろん、それらを証明するものもまた見当たらない。

けれど、もしそうだとするなら、男主人公がモチーフの創人がこのサイクルにいても実はおかしくないのかもしれない。

 

 

そもそもここまで行くと究極的には、そもそもこのサイクルという考え方自体が何かの勘違い、という可能性だってある。

 

 

 

もう一つ付け加えておくと、ルビー・サファイア・エメラルドのホウエン組を除いて、

全ての御三家はゲームの男主人公・女主人公・ライバルの外見がモチーフのキャラクターがそれぞれてもちにしている。

 

それは、BW編以降図鑑所有者が2人制になった後も続いている。

 

しかし剣盾編は、現時点(4巻時点まで)では御三家をてもちにしたのは創人・シルドミリア、そしてマナブとなっており、この組み合わせも従来からしたら例外的である。

ここにも、何かしらの意図的なものを私は見るのである。

 

やはり、剣盾編には何かが起きている。

それがどういう意図なのかは、まだはっきりとはわからないけれど。

 

 

まとめ

最後に、創人の御三家問題に関して

創人とマナブがポケモン交換をして、サイクルが最終的に守られる

という説をいくつか見たことがある点について。

 

まぁ、これは妥当な考えである。

これなら、下手な理屈をこねくり回す必要もない。

 

これまでもミツルやホワイトといった似たような例があったから、剣盾編でもそうしたことはこれから起きるかもしれない。

もしくは、もうすでに起きているかもしれない*5

 

 

で、私はここに対して、

てもちを交換するのは創人ではなくシルドミリア

という可能性を挙げておきたい。

 

なぜなら、そうすることで一世代分のサイクルが確保できるのである。

それはちょうど、SM・USUMと剣盾の間にあるLet's Goピカチュウイーブイに対応する。

 

…いや、ポケスペにピカブイ編があるのかは知らないし、あったとしてもそこに新しい図鑑所有者が出るのかも知らないけれど。

 

剣盾編の御三家問題との関連はさておき、もしピカブイ編があったら私はすごい嬉しいなぁ。

イエローやレッドに会いたいよう。

 

 

いずれにせよ、この剣盾編における「御三家問題」は、作者側による何かしらの意図的なものであるのは間違いないはずである。

とはいえ、ここまでいろいろ書いてきたけれど私は実際のところ、多分剣盾編が始まった時点では作者側もその意図を

「はっきりとは決めていなかった」

ように思う。ただのカンだけど。

 

より正確には、

いくつかの可能性を含ませておいて、作中の展開や作品外の状況(例えば、連載・連載媒体の状況、もしくは制作スケジュール、作者の体調とかも含まれるかも)に合わせて柔軟に変えられるようにしている

のだと思う。

 

それに関しては、この「御三家問題」とは事情や状況も異なるけれど、2章は構想時点では今よりも短いものだったことが思い出される。

 

2章はゲームの金銀の発売延期が影響したことによって予定よりも長い章になったそうで、

こういう「当初の予定が変わること」と「それによって作品が影響を受ける」ことはきっと「よくあること」だろう。

 

剣盾編の「御三家問題」は、

こうした「よくあること」に対応するために、作品に設けられた“遊び”

でもあると思うのである。

 

 

だから、ピカブイ編がほぼありえなさそうな今、上記の説は

てもちを交換するのは創人ではなくシルドミリア「だった」

とすべきなのかもしれない。

 

では今この設定(の意図)はどうなっているのかというと、それに対する結論を出すのにはやはり剣盾編の完結を待たなくてはならないだろう。

下手をすると、まだ決まっていないのかもしれないのだし。

 

こういう焦らされ方をするの、リアルタイムの作品を追う楽しみならではだなぁ。

 

この御三家問題とは「伏線」なのか?それともこれから「辻褄合わせ」されるのか?

果たしてどちらなのでしょう?

 

 

 

まとめに入ろう。

 

「本編の主人公」という表記に私が注目したのは、こうした剣盾編の「例外さ」やその意図についていろいろ考えていた際に偶然発見し、それが何かのヒントになるような気がしたからである。

 

もちろん、これは発見とは呼べないような頓珍漢なものなのかもしれないけれど。またけいちゃんがアホな深読みしてら

 

 

それに関連して、私はポケスペの“主人公”の条件の一つに、

ラスボスと対比されること

があると思うのである。

 

大なり小なり主人公たちは“悪役”のアンチテーゼだけれど、特にその要素が強いキャラクターが“主人公”だと思うのである。

 

 

ここでは「本編の主人公」に限って見ていくけれど、

ゴールドはヤナギやアルセウスと対比され、

エックスはフラダリやマチエールと対比され、

(XY編に関しては過去の記事で散々考えてみた)

サンザオボーと対比されている。

 

 

…サン・ムーン編のラスボスは私はザオボーだと思っている。

グズマでもルザミーネでも、ウルトラネクロズマでもない。ザオボーである。

 

ここに関しては別の記事でいずれ。

 

 

剣盾編に話を戻すと、剣盾編のラスボスは誰で、それに対して最も対比される存在は誰になるのだろう?

 

ローズ委員長?シーソーコンビ?ムゲンダイナ?それとも全く別の誰か?

それに相対するのは創人?シルドミリア?もしかしてマナブ?

 

これもまた、今後の展開に注目である。

 

 

 

ここまで読んでいただきありがとうございました!

それではまた次回に。

 

 

 

 

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*1:「熱いハートの」とは付いているけれど、この「熱いハート」という言葉は、他の「主人公」「本編の」「本編の主人公」という言葉に対し、唯一、「作中の人物たちも認識・表現できる」という点で、違う次元に属している言葉である。

また、

「博士から図鑑を託された」「一見すると不良の」

など、全く違う形容詞に変えても成立する点でも、言い換えることができない「本編の」とは異なっている。

よって、ここでは無視して、「主人公」という言葉して扱っている

*2:また、その観点からすると、「本編の主人公」という言葉は「本編の」「主人公」が同じ次元に属している言葉とはいえ

本編の / 主人公

と分割自体はできる。しかし、*1で述べたように

「本編の」という言葉は言い換え不能/したとしても同語反復的な言い換えに留まる

ことから、「本編の主人公」という一繋がりの言葉として扱うべきだと考え、そうしている

*3:8巻には登場人物紹介がない

*4:もちろん、冒頭の意味のような主人公の一人であるのは事実だけれど、エックスやサンのような“主人公”ではない、という意味

*5:この記事は、先行版1〜4巻までの内容で書かれている