ポケスペ剣盾編4月(6月)号の感想
この記事は2023年5月時点の最新話の内容にがっつり踏み込んでいます。(従って、目次の位置もいつもとは変えています)
なので、特に今回の記事は単行本派の方・剣盾編未読の方はおすすめできないものとなっています。
ご注意ください。
ラストの衝撃
簡潔にいきましょう。
わたしはラストの展開に本当にびっくりしました。
感想を書こうにもかなり時間が掛かったのはそのためです。
でも、やっとまとまってきたので書いてみることにしました。
……ここで念のためもう一度確認しておくけど、このまま読み進めるという方は“ネタバレ”を踏んでしまったとしてもOKか、内容をご存知の方ということでいいんですよね?
……。
…………。
よし。
どうせぼかして書き続けるのは不可能だから最初に書いてしまうけれど、
まさかマナブくんがナミダくん(インテレオン)を手放す
なんて。
(※ただし今後の展開がわからない以上、これは一時的なものなのかもしれないけれど)
はっきり言ってとてもショックだったし、偽らざる本音を言えば、裏切られたとすら思いました。
「それやったらいけないでしょ」
と。
でも、ずっと考えていく中で今のわたしは全く違う考えに至りました。
それを一言で言えば、
「これが剣盾編のやりたかったことなんじゃないのかな」
です。
剣盾編のテーマについて
先にお伝えしておくこととして、この項は飛ばしていただいて全く問題ありません。
その場合は次の項である「御三家を手放すということ」へお進みください。
この部分は、次の項が納得いかなかった時に戻ってきていただくので十分だと思います。
マナブくんは剣盾編の主人公の1人?
さて、この感想を書くにあたって、わたしはもう1本記事を書きました。
これは主人公と悪がポケスペにおいてどのように描写されてきたのか、について簡単にですが横断的にまとめてみたものです。
で、ここで私はいくつかの命題を提示してみたのですが、それに基づいて考えてみると、私はやっぱりマナブくんは剣盾編の主人公の1人だと思うし、その思いは今も変わりません。
命題それぞれの細かい説明はそちらの記事に譲るとして(興味があれば覗いてみてくださると嬉しいです)、ここでは創人やシルドミリアを含め、マナブくんがどれくらいこの命題に則しているのか確認してみたいと思います。
命題1の確認
- 命題1:主人公と悪役は対立しない
- 1-1:主人公は「巻き込まれる者」である
- 1-2:主人公たちは“仕方なく”悪役と対峙する
創人やシルドミリアは当然として、マナブくんもこれらを満たしていますね。
マナブくんの冒険の目標は「悪を倒すこと」では当然なく、「ポケモンのことをもっと知ること」「ポケモントレーナーになること」であり、その機微は1、2話でたっぷりと描かれています。
また、彼がガラル地方を襲う災厄と戦う1人になっているのも、やっぱりこれまでの主人公たち同様に「巻き込まれたから」あるいは「その場に居合わせたから」“仕方なく”、です。
- 1-3:主人公と悪役は似ていることがある
剣盾編の悪役を誰と捉えるのかはやや難解ですが、私はローズ委員長やソッド・シルディがその主たる担い手だと思っています*1。
彼らについて確認するのは後述の「命題2の確認」の項に譲るとして、では、果たして彼らとマナブくんは似ているのか。
私は似ていると思っています。
それがどこがかと言えば、
これまでどのように扱われてきたのか
という点です。
そしてそれは創人やシルドミリアも。
とはいえここに関してはマナブくん、それ以上にローズ委員長やソッド・シルディは具体的な描写が創人やシルドミリアよりは多くないので推測の域を出ない部分は多いのですが、それでも何となく伝わってくるのは、彼らは「ありのままを理解してくれる存在」に出会うのに苦労している点かなぁと。
ここから先は「命題3」の内容になりそうなので後ほど改めて。
命題2の確認
- 命題2:「悪なるもの」は隠すことから生まれる
- 2-1:悪は常に隠されている
- 2-2:「悪なるもの」は現実を歪める
これらは特にソッド・シルディ(らガラル王族の末裔たち)の行いが象徴的ですね。
歴史を隠す。
それによって現実を歪める。
その果てにブラックナイトに加担し「歪み」を現実のものとする。
役満です。
反対にローズ委員長をここにやや含め辛いのは、ローズ委員長はラテラルラウンの壁画の破壊をどこか望んでいた、という姿が印象的なように、私にはどこか彼には「隠すこと」に対する怒り、あるいは、隠されたものを「暴く者」であるかのように見える一面があるのです。
とはいえブラックナイトを「解決策」と考えてしまう(/すり替えてしまう)ような部分には、やはりフラダリらの系譜を感じるのも事実ですが。
- 2-3:「悪なるもの」は必ず破滅する
ここはまだ完全にはわかりませんが、まぁそうでしょう。
ガラル地方がどれくらい道連れになるかはさておき。
命題3の確認
- 主人公は「悪なるもの」が「できなかったもの」を見せる者である
ここです。
ここがずっとずっとずっと気になっていたし、そして、やっと一つの考えに至ったのいうのが今回の記事のテーマです。
ちょっと話は前後してしまうけど、創人やシルドミリアは特に4月号(2月発売号)の掲載話*2が象徴していると思うんだけど、その姿はここまでにしっかりと見せてくれていると私は感じているんです。
だからあとはマナブくんのその姿がどんなものなのか、ということをずっと考えていたんです。
話を描写の方に戻しましょう。
ローズ委員長やソッド・シルディが「できなかったこと」って、「1-3」の確認で少し触れたように、私はきっと「その人のままとして理解される」あるいは「その人らしく育つこと」だと思うんですよ。
そしてそれが同時に、私は剣盾編のメインテーマだとも思っています。
それを示唆する一例として、ソッド・シルディは自他を身分という見方からでしか見ることができない点。
彼らにとって人を規定するものとは身分がその全てで、そこに「その人らしさ」という概念はないんだと思うんです。
…もし仮にあったとしても、きっと「そんなものは身分を持たない愚民の哀れな空想」ぐらいにしか思っていないんじゃない?
また、ローズ委員長に関して言うと、彼がビートの名前を忘れていたのも一見するとソッドらと同じ「その人らしさ」という感覚の喪失のようにも見えますが、ここは実際は違っていました。
しかしあれがそのまま「ビートのためを思って」とだけにするのは、私はちょっと満足できません。
なぜなら、あれは仮に「ビートのため」ではあったとしても、もともとはローズ委員長の「やられたこと」だったのではないのかなぁと想像するからです。
ローズ委員長の過去はポケスペでは現状言及がないので、この辺りはあくまでゲームから(の、しかも推測)になるのだけれど、彼はきっと叩き上げとして成り上がっていく過程で何度もそういう『「ローズとして」扱われない』目に遭い、それを反骨心やバネにして成り上がったんじゃないのかなぁ。
ローズ委員長にはたまたま並外れた才覚と根性があったからそれらを撥ね退けて“成功”できたのだろうけれど、でもやっぱりそこには、ソッド・シルディらが抱く影と同じような根を持つ『「ローズ本来の姿として」生きることのできなかった生』の影がちらついているように私は感じてしまうのです。
では、マナブくんはそんな彼らに(別に直接見せる必要はないのだけれど)どんな姿を見せればいいんでしょう?
私は、それはここで予想したテーマそのままに
「マナブくんらしく成長すること」
なのでは、と思うのです。
そしてそれは例えば作中の描写では3巻収録の#18あたりで描写されていたので、ここからどうなっていくのかな?とずっと思っていたんです。
で、4月掲載分(6月号)の内容を最初に読んだ時、私はここにおもいっきり逆行しているかのように見えて、それがショックだったのです…
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2023年5月6日
この段落の表現を少し修正しました。
内容に変更はありません。
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御三家を手放すということ
読み続けてくださっている方、ありがとうございます。
そして、飛んできた方はここからお読みください〜。
さて、この「ナミダくんを手放した」というシーンですが、私は最初マナブくんが「マナブくんらしく成長することを諦めた」かのように感じたんです。
でもよくよく考えると、ここでマナブくんがしたことって「諦めた」ではなく、
「成長したことによって誰かを頼ることができた」
のではないのかな、とふと思ったんです。
状況で言えば、どう考えたってマナブくんにはナミダくんをダイマックスさせる力も条件も経験も不足していて、あの場においてホップにはそれがありました。
でも、だからって「お願いします、ホップさん」と自分からバシッと決断するのってすごく難しくないですか?
もしあの場のマナブくんがわたしだったとして、でもわたしにはきっとそれはできないと思ったんです。
「自分には力がないこと」を認めるのって、下手したら悪に挑むことよりも遥かに勇気が必要なことだと思うんです。
「力がないこと」は事実かもしれないけれど、それを卑下するでもなく腐るでもなく、そして当然情けなかったり悔しかったりするだろうけれど、でも逃げることなく現実を見据えてみせたこの姿って、わたしはこれは間違いなくマナブくんの「成長した姿」だと思うのです。
少なくとも1・2話のマナブくんにはきっとできないことだし、それ以上に、このシーンのマナブくんの表情が全て物語っているようにわたしは思うのです。
そして同時に、
「誰かに頼ること」「自分には力がないこと」を認めることって
「ローズ委員長のできなかったこと」
なのではないでしょうか?
3巻の
これから
千年の間に
だれかが解決して
くれるかもしれないじゃ
ないっすか。
(『ソード・シールド編』3巻,p95)
というキバナのセリフから続く問答のシーンは、ローズ委員長が「人に頼ら(/れ)ない人」であることをを示唆しているシーンですよね。
そんな彼の計画の果てがブラックナイトであり、そしてその制御に失敗したことを考えると、ここでマナブくんがやってのけたことって静かで小さな、だけど強烈な「ローズ委員長なるもの」へのアンチテーゼだと思うんです。
そしてそれは間違いなく創人やシルドミリア、そしてこの場の誰でもできない「マナブくんにしかできないこと」なのではないのかな。
これに関連して思い出すこととして、Amazarashiの「タクシードライバー」(『世界収束二一一六』,2016)という曲の中にこんな一節があります。
家出する為には、まず家に住まなければ
これが示唆するように(?)、
博士の元にいた御三家を手放せるのは、
博士の元にいた御三家をてもちにしている人だけ
=主人公だけ
なんです。
「マナブくんがナミダくんを手放した」というのは彼が主人公であることを放棄したのではなく、
「主人公だからこそ手放せた」
と捉えてみるのもわたしは面白いのではないのかな?と思います。
まとめ
と、まぁ色々書いてきたけれど、はっきり言ってわたしはこの記事ごときで「誰かを納得させられる」とは全く思っていません。
「そもそもそういうつもりでブログを書いていない」というのが全てではあるのだけれど、それ以上に、わたしが腑に落ちているとは思っていないからです。
わたしの感じた最初のショックの根っこって、わたしの中に
成長とは「立派になること」
という思い込みがあるから
だと思うのです。
そういう考えはわたしとしてはだいぶ昔に捨てたつもりだったのだけれど全然そんなことはありませんでした。
だからわたしは最初、「マナブくんの表情」という重要な情報を見落としていたのだと思うのです。
思い込みは暗黙の領域ゆえに、たやすく盲点になるんです。
そして実際のところ、気付いた今だって抜け出せたとは全く思っていません。
だからこんなに「頭で考える」という作業が必要だったわけで、そこからはやっぱり「腑に落ちている」とは必ずしも思えないわけであり、これに気付いた時も結構落ち込みました。
『ポケットモンスターSPECIAL』という作品は本当に手加減がないと思います。
簡単にスッキリなんかさせてくれません。
こういう“本気”みたいなものを「子ども時代のリアルタイム」として読める今の子たちが羨ましいし、けれど、これがちゃんとポケスペの系譜に位置していることを考えると、そうしたものに衝撃を受けた「当時のわたし」がいるからこそわたしはきっと今もポケスペが好きなのでしょう。
そして、「芸術」とはこうした人の内側にある「思い込み」を揺さぶるものを指すのだと思うのです。
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2023年5月4日
この段落の表現を少し修正しました。
内容に変更はありません。
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最後に余談として、わたしが基本的に常に「感想」とか「考察」という言葉を使うのは、わたしが書いているものは“作品の正しい理解”ではなく、表れているのはあくまで「わたしの歪み」に過ぎないと考えるからです*3。
「ナミダくんを手放すこと」を「成長を放棄した」と解釈したのなんてその典型だし、それを「成長」と捉え直したことだってそう。
そして仮にもしこの「考察」のいずれかが“正しかった”としても、それでもやはりそれは「正しい解釈」などというものではなく、わたしの中を経て出てきたものである以上は「わたしの歪み」以上のものではありません。
だからこの記事も「これが正しい理解だ!」と言いたいのではなく、あくまで、どこまでいっても「作品を通してわたしが考えたこと」を書いているに過ぎないものです。
そもそも、この記事ってまだ完結していない章に関して書いているのだから、今後の展開によってはとんでもなく素っ頓狂なことを書いていることになるのかもですしね。
それに、“正しいこと”を書きたいのならどんなに早くても作品が完結してから書くに決まっています。
だから、わたしはこの記事で書いていることが「作品の理解」において“正しい”かどうかなんて興味ありません*4*5*6。
「作品の理解」なんてものは作品に触れた人それぞれがそれぞれのタイミングで好きに決めたらいいことです。
では、それでもなぜ書くのかといえば、それは「今」「わたしのこの歪みを書くこと」が、いつかのどこかの誰かの何かの役に立つことがあればそれは嬉しいことだな、と思っているからです。
ここまでお読みいただきありがとうございました!
もし上げた2つの記事を両方読んでいただけていたとしたら、本当にありがとうございます。
【ポケスペ考察】主人公と「悪なるもの」はどのように関わってきたのか? - けいのブログ
もちろんこの記事を読んでくださるだけでもとても嬉しいのです。
それでは〜!
*1:ムゲンダイナはその「現実的な結果」に過ぎない
*2:おそらく7巻の2話となる
*3:仮に“正しい理解”なるものが書きたいのなら、多分「批評」や「評論」という言葉を使うと思う
*4:さらに余談ながら、わたしは巷でたまに見かける「正解はないが間違いはある」という考え方はだいっきらいです。わたしは「正解」なんてものも「間違い」なんてものもどこにも存在せず、ここまでに言ってきたように、存在しているのはあくまでそれぞれの人の「それぞれの歪み」しかないと思うからです
*5:この考え方は仮に「正解」を否定したとしても「間違い」なるものを設定している時点で結局は「他人(の歪み)」をジャッジメントする立場に自分を置いているのであり、それは傲慢なことだと思う
*6:それに、そもそも「他の人より知識がある/理解している」ことだって別に大して偉いことなんかじゃない。仮にもし「偉い人」がいるとするなら、わたしはそれはちゃんと自他の「歪み」と向き合うことのできている人だと思う