けいのブログ

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ポケスペ剣盾編6月(8月)号の感想

ポケスペ剣盾編完結お疲れ様でした!

中盤〜終盤から雑誌連載を追うようになったのだけれど、本当に毎月子供の頃に戻ったかのように待ち遠しく、そして楽しませていただきました。

 

はじめに

さて、今月号をもって一度『ポケットモンスターSPECIAL ソード・シールド編』の連載は最終回ということなのでさぁ章全体について考えてみよう…と思いきや、山本先生のTwitterの書きぶりだとどうもこの“連載版”に対して“完全版”みたいなものがある様子。

読者としてはそれはもう嬉しいことだけれど、正直「先生方の体とかは大丈夫?」とも思っちゃったり…

 

 

まぁそんな感じみたいなので章全体の感想みたいなものはおいおいするとして、今月号の範囲の感想をば。

いずれ改めてまた書くかもだけど、今のうちに書いておきたいなぁと思ったことがあったので。

 

 

ローズ委員長がとても印象に残った

わたしが今月号で印象的だったのは創人…もだけどそれ以上にローズ委員長で、すっかりかなり好きなキャラになってしまいました。

XY編のフラダリと比較されることもあった彼だけど、わたしは似ている部分はあれどどこか違うよなぁと思っていて、そして、その「違い」みたいな部分が最後すごく良い形のものとして出てきたと感じたというか。

 

 

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追記:

しかもこの辺りにはどうも描き足しがあるみたい?

楽しみ!

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あ、ここから先は未読の方は注意です。

ボカしては書くけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

ブラックナイトは肯定できない

とはいえまず最初に書いておきたいこととして、p94〜p95および〜p99のシーン、わたしはここはちょっと額面通りには読めないなと思ったのです。

 

これはメタ的な視点でもあるけど、剣盾編にはマスタード師匠が提起(6巻,#35)した

  1. 世界には「縁とか運とか、なんか人知を超えたもの」があるので、先がどうなるのかは誰にもわからない
  2. ゆえに、目的は手段を肯定しない*1

という命題があると思うんです。

ポケスペ剣盾編10月(12月)号の感想 - けいのブログ

【ポケスペ考察】マスタード師匠の問答を考える - けいのブログ

↑細かくはこちらで考えてみました

 

だから、ここでどんなデータが明かされたとしても、それは

「ブラックナイトを肯定する理屈」にはならない

とわたしは思うのです。

 

 

シュミレーションにしたって、マスタード師匠の言うように人間にはこれまでのことも先のことも全くわからないものであり、かつ、人は変わるものだからね。

「そのままでは」20年後に滅びるかもしれなくても、状況の変化によって人々やその抱く危機感もまた変わっていくだろうし、あるいは、人の力の及ばぬ何かの偶然が未来を大きく変えるかもしれないわけだし。

 

まぁ、反対に予想よりも早く5年ぐらいでプツッといくかもだけど。

それはそれ。

 

 

結果から見れば、ガラル地方は多くの人の想像以上に危機的な状況にあり、そして確かに「ガラル粒子の欠乏をなんとかする」ために起こしたブラックナイトは「その通り」にはなったけれど、でも、だからと言って起きた被害や「ムゲンダイナという一つの生命を他の誰かの都合で利用したこと」と相殺とはならないと思うんです。

もちろん、ローズ委員長もそういうことはわかっていたから(その方法はさておき)「責任を一人で引き受け」ようとしたんだろうけれどね。

 

そうそう、それに「結果」はそうであっても、その推移は全くもってローズ委員長の想定通りであったわけじゃないですしね。

 

 

ノー・モア・ヒーローズ・エニィモア

なぜわたしが「ブラックナイトは肯定できない」という点にこだわるのかというと、こうしたことを踏まえた上でなお「肯定してしまえる」とするのであれば、———それを剣盾編の言葉で言えば———その行為者はもはや「英雄」となってしまう、と思うからです。

「世界はそういう風にはできていない」のに“彼”だけはできる……なんて、それはまさに「英雄」です。

 

でも、このシーンの前には

「ノー・モア・ヒーローズ・エニィモア」*2

というセリフがあるわけで、それを踏まえると、剣盾編ではやっぱり「英雄」なるもの———こうした、「目的が手段を肯定する」ということ———は、最終回においても改めて否定されていることだと思うのです。

 

 

よって、このシーンを額面通りに

「ブラックナイトには起こすに足る理由があった(と、みんなが納得している)

と読んでしまうと、それはあたかも

「英雄」を否定した面々がローズ委員長を「英雄」として祭り上げている

ことにもなりかねないわけで、(わたしは最初ちょっとそういうふうに読んでしまって)何か引っかかってしまったんです。

 

 

ローズ委員長は怒っていた

もちろん、読めばわかるようにそんなことがあるはずはないですよね。

 

でも、じゃあ「ブラックナイトは仕方なかった」ではないにせよ、しーちゃんやダンデが何かに“納得”しているのは事実なわけで、そしてわたしはそこには結構重要なポイントがあるんじゃないかな、と思ったんです。

 

で、それが何なのかと考えたら、わたしはそれは、その後のシーンで語られた

その根底にあったローズ委員長の「世界や社会にある理不尽に対する怒り」みたいなもの

に対して“納得”していたのでは、と思うのです。

 

これならそこにいるみんながそれぞれの形で納得し、そして共有できることですもんね。

 

 

もちろん、ローズ委員長がそうした真意を語ったのは作中ではビートに対してのみなので、ここにいる人たちはあくまでそれまでのローズ委員長の姿とかに思いを馳せたにすぎないのだろうけれど。

 

 

フラダリとの違い

ここでもう一つ見ておきたいことがあって、ローズのセリフもまた額面通りに読むとあたかもかつてのフラダリのようだけれど、でも明らかに違っているという点について。

 

言っていることは両者とも

「社会には理不尽や問題がある」

「それを解決したい」

だけれど、ローズ委員長の言葉がレトリックに過ぎなかったフラダリのそれと決定的に違っていたのは、彼の言葉にはちゃんと内的なもの(=「怒り」)が接続されていたからでは、と思うのです。

 

これを一言で言っちゃえば

「言葉が生きている」

かな?

 

 

ゆえに、進む道は違えていたとしてもダンデやしーちゃんたちにはローズ委員長のその「何か」は響いていて、そして何かしらを“納得”していたのかな、と思ったのです。

少なくとも、わたしに響いたのはそれゆえにだと思う。

 

 

そしてこれは完全に余談だけど、わたしはここでローズ委員長やみんなをこういう風に描いておいてくれたおかげで、もしいずれダンデがポケスペにおいても

「ローズ委員長の後を継いだオレは…」*3

と言った時にはそれはきっとすごく納得できる言葉になるはずと思ったり。

 

 

ゲーム原作との不思議な倒錯

わたしがポケスペのローズ委員長ですごく印象的に感じているのは、ゲーム版の彼と印象が逆転している点なんです。

雑な言葉で言っちゃえば、ゲーム版は「善人 → 悪人」という印象だったのが、ポケスペでは「悪人 → 善人」のように変わる点。

 

 

ゲーム版で一番覚えているのは、エネルギープラントの戦闘後、やり手の人物という雰囲気から一転して不貞腐れた子供のような態度やセリフになること。

それは先述のような「生きた」言葉とは真逆の、言うなれば「内的なものとの接続の切れたかのような」言葉や態度であって、展開やプラントの雰囲気などと相まってすごい不気味でした。

 

でも、不気味なんだけど強い印象を残すのでゲームのストーリーでここ好きなんですよね。

 

 

このイメージがあって、かつ、序盤の「人の名前を忘れるひどい人物」というイメージも加わったことで、わたしはポケスペのローズ委員長もそういう「内的なものとの接続の切れたかのような」人物なのかなぁと思っていたんです。

でも展開が進むにつれ、その真逆の「ちゃんと内的なものと繋がっている人」の面がどんどん出てくると感じるようになり、そしてこの最終回でそこをしっかり描いたシーンが出てきたので、それでわたしはすっかりやられたんです。

 

 

まとめ

ポケスペ剣盾編ってこれまでの章以上に群像劇の側面が強い章だったのかな、と読み終えた後に思ったのだけど、ローズ委員長もまたその中ですごくいいキャラしていたなぁ、と思いました。

ずっと気になっていたキャラの一人ではあるのだけれど、こういう展開が来るとは思いもせず、かつ想像の上の展開が来て本当にやられたなぁって感じです。

 

 

最後のビートとの会話ってすごく穏やかだけど、でも、ローズ委員長の「怒り」は決して消えたわけではないと思うんです。

ガラル地方の危機は確かに一度脱したのかもしれないけれど、でもローズ委員長の意識は「エネルギーの枯渇」ではなく「社会の理不尽」にこそあるんだもんね。

 

それはそう簡単には解決するはずないですもん。

 

 

そうそう、ふと面白いなと思ったのが、ローズ委員長は「社会の理不尽」に対して、フラダリのような

「理不尽なものは直接消し去ってしまえばいい」みたいな“直接的な”アプローチ

ではなく、例えブラックナイトみたいな手段に至ったとしても

「社会に余裕があればその理不尽さも多少は緩和されていくはず」みたいな“間接的な”アプローチを選び続けていた

という点で、このことはローズ委員長は一貫して「人の変化」みたいなものを信じていたってことなのかなと思ったり。

 

ビートへの態度もそうだったもんね。

また、そんな対照的なフラダリが「不変のもの」を志向していたことともやっぱり対照的ですね。

 

 

 

 

最後に。

 

このシーンのローズ委員長の穏やかさを見ててもう一つ思うこととして、彼はやっぱり最初から最後まで一貫してずっとすごく「怒っている」人なんだけど、

でも、その怒りとは「ちゃんと自分の内面と繋がっているもの」だから突然キレて爆発するみたいなことは一度もなかった———怒りが爆発してしまうのは「怒り」を「怒り」として受け止めれないことゆえに、だとわたしは思うし、それはまたそれで大事なこと———

みたいなことも示しているのかなぁと思ったんです。

 

この点も、時に“キレて”爆発してしまうフラダリら従来の悪役たちとは違っているよなぁと。

 

 

 

 

わたしは剣盾編って、特にテーマみたいな部分においてXY編以降の一つの到達点みたいな章なのかなぁと思うのですが、ローズ委員長もまたフラダリ以降の「悪役ポジション」の系譜の一つの到達点って感じがするんです。

やっていることはゲーム版を踏襲している以上従来通りのような悪事なんだけど、けれどそこには人間性が強く残っていることが示唆されているという点でこれまでの悪役たちとはどこか一線を画す、一言では語ることが難しいキャラ。

 

 

……で、こういうことを考えていると同時に、

ついに予告されたスカーレット・バイオレット編は、剣盾編を一つの区切りとするならこれまでの章とはかなりガラッと変わった章が来る

んじゃないのかな…?なんて勝手に期待しちゃったり。

 

待つのは得意です。

楽しみにしています。

 

 

 

 

ここまでお読みいただきありがとうございました!

改めてですが、本当に両先生剣盾編完結お疲れ様でした&ありがとうございました。

 

それでは〜!

 

 

 

 

*1:「目的」と「手段」の関係は、「結果」も含めて

「こうしたい(目的)」から「そうして(手段)」「こうなる(結果)」

という対応関係にあるとされ、多くの場合、そこから逆算的に

「こうなる(結果)」ために「そうし(手段)」ようとし、そしてその「こうしたい(目的)」には正当性が与えられる(/否定される)

という手順や認識になっていると思うけど、世界とは常に「先がどうなるかわからない場所」であるゆえに

「こうしたい」と「そうした」ものがその通りに「こうなる」とは限らず
(=目的と手段には常に乖離が生じ、そして結果は予測できない)

ゆえにこうした対応関係はそもそも原理的に成り立たない

*2:コロコロイチバン!8月号』,p93

*3:ここでは

【公式】スペシャルアニメ「薄明の翼」 EXPANSION ~星の祭~ - YouTube

より引用しました