【ポケスペ考察】マスタード師匠の問答を考える
『ポケットモンスターSPECIAL ソード・シールド』6巻が1/27(金)に発売されました!
パチパチ。
ゲームにおいてはDLCで追加された要素の内容へと進んだ今巻。
それによって新キャラもぞくぞく。
この記事で取り上げるのは、そのうちの一人であるマスタード師匠です。
ガラルの危機がそこに
p97〜98のマスタード師匠、マナブくん(いちおう創人も)の問答は難解です。
でも、ここをゆっくり噛み砕いてみれば、そこからはマスタード師匠のものの考え方や、ひいては剣盾編のテーマも見えてくるとわたしは思うのです。
まず、押さえておきたいのは問答のきっかけとなったマナブくんのセリフ。
そんな…!
今はガラルを襲う未曾有の危機のさなかですよ!
その危機を退けることがなによりも優先されるべきでしょ!?
(『ポケットモンスターSPECIAL ソード・シールド』6巻,p97)
マナブくんがここで言っていることを要約してしまうなら、それは
「目的」があれば「手段」は肯定される
だと思うのです。
で、マスタード師匠のセリフがこの主張に対応しているとするなら、それはこの「命題」に対する応答となるはずでしょう。
それを以下で考えていってみましょう。
ちなみに、同時にこれはローズ委員長の思想にも通じるものかなと。
彼は「ガラルを千年後まで守る」ために「ブラックナイトという厄災を起こした」のですから。
まさに「目的」が「手段を肯定」しているわけです。
つまり、この問答が表現しているものは実は剣盾編の大きなテーマにも通じていると思うのです。
命はこの星よりも重い
それではまず最初の
人の命、ポケモンの命はこの星よりも重い。
(以下、注釈ない限り同上)
ですが、これはマナブくんの主張を肯定しているものでしょう。
人の命、ポケモンの命のことを考えたら、危機は退けて然るべし。
まぁそれは至極当然のことで、ひいては「目的」は「手段」を肯定しうる、ともなるでしょう。
ちなみに一見すると唐突にも思えるこのセリフ、おそらく何らかの元ネタがありそう。
それについては連載時の感想記事で書いたので、興味のある方はそちらをどうぞ。
どっちが大事?どっちも大事?
しかし、マスタード師匠は続くセリフでその主張に疑問を呈していますね。
でも、その命はこの星があってこそ。
(同上)
これも至極当然なこと。
でも、それは前の言葉とぶつかることでもあります。
では、この星を守るために犠牲になる人やポケモンが出ていいのか?
危機をもたらしたポケモンや人の命は守らなくていいのか?
(同上)
こうして、最初の命題である「危機を退けることがなによりも優先されるべき」および「人の命、ポケモンの命はこの星よりも重い」にはいくつかの矛盾が生じることとなります。
「命は何よりも大事」であっても「その命の前提もまた大事」であり、
また、
「大事なもののために危機を退ける必要」はあれど「危機を退けるために大事なものを犠牲にすることは許される」…のでしょうか?
むずい。
ちなみに、改めて読むとこれってここまでのポケスペを俯瞰するようなセリフでもありますね。
世界は複雑である
こういう難題を提示することで、マスタード師匠は何を言おうとしていたのでしょう?
それを考えるために、その先のセリフも見ておきましょう。
ワシちゃん、ジムリーダーもチャンピオンも経験して道場まで持ってるけれど、練習や修行や鍛錬だけでこうなれたとは思わない。
ワシちゃんと同じことをしたって、だれもがワシちゃんみたいになれるわけじゃない。
(『ポケットモンスターSPECIAL ソード・シールド』6巻,p98)
このセリフは先述のマナブくんのセリフとはますます離れていっているように見えますが、修行だと思ってもう少し我慢です。
大丈夫、ちゃんと繋がりますから。
ここでマスタード師匠が言っているのは、
「行為の結果」は「往々にして思った通りにはならない」
ですね。
マスタード師匠の経験は言わずもがな、身近な例で言えば「勉強に費やした時間」と「テストの点数は相関しない」っていう、誰しもが経験するアレです。
もちろん、「時間をかけること」で「技術や知識が身に付く」のは事実でしょう。
でも、例えば50分勉強して50点取ったからといって、では仮に倍である100分勉強したとすれば100点を取れるようになるのでしょうか?
当然違いますよね。
おまけにその50分にしたって、1分=1点みたいな対応関係ではなく、49分はちんぷんかんぷんであっても最後の1分で突然理解が深まる、みたいな感じが大抵のはずです。
「行為」と「結果」は必ずしもまっすぐとは繋がらないのです。
「目的」は「手段」を肯定しない
ポケスペに話を戻しましょう。
それを踏まえて考えると、わたしはマスタード師匠がこの一連のセリフで何を言おうとしていたのかと言えば
「目的」は「手段」を肯定しない
ということだと思うのです。
なぜかと言うと、ここまでに考えてきたことやマスタード師匠のセリフが示唆するように
「手段(/行為)」がどのような「結果」をもたらすのかは事前にはわからない
からです。
「目的」が「手段」を肯定する、という主張は
「手段」によって「目的」が達成される、ということが前提
となっていますよね。
ですがそれは、マスタード師匠の言うように「縁や運、人知を超えたもの」の存在を感じるような、複雑さに満ちた「現実の*1」世界ではどれだけ周到にやったとしても大抵その通りにはなりません。
だから逆に、デタラメにやっていたとしてもなぜか「うまくいったり」もするのです。
「目的」と「手段」は繋げることができないとなると、突き詰めていけば「目的」が「手段」を肯定することもまたできないと言えるでしょう。
マスタード師匠がマナブくんのセリフに対して応える中で示唆してみせたのは、こういった意味のことではないのかとわたしは思うのです。
これでようやっとマナブくんのセリフと繋がりましたね。
パチパチ。
お疲れ様でした。
どれだけの人がここまで付いてきてくれているのかな。
付け加えておくと、よって、このマスタード師匠の問答とはローズ委員長の思想に対する反論でもあると思うのです。
「ブラックナイトという厄災を起こす」ことを「ガラルを千年後まで守る」という目的では肯定できないのです。
また、マスタード師匠がこんな難解な問答をした理由についてですが、
ローズ委員長の引き起こした危機に対して「ローズ委員長のようなやり方で解決しようとすること」に「待った」を掛けた
ようにもわたしは感じたりします。
見る前に跳べ、よ!
しかし忘れてはいけないのは、危機が「現実」のものであることです。
危機を退ける必要があるのは紛れもない事実。
ではどうすればいいのかとなると、結局は「やるしかない」のです。
「現実の危機」に対応できるのは「現実の行動」のみなのですから。
そこまでに色々と問答を重ねつつもマスタード師匠がまだ修行の条件を満たしていない創人とダクマであっても挑戦を促したのは、こうした考えがあったからだと思うのです。*2
ここまでに考えてきたことや、
(前略)
でも、勝負ってそれだけで決まらないんよ。
だから、
今のそうどちんとダクマで挑戦するといい。
てっぺんまで行けるかもしれないよん。
(『ポケットモンスターSPECIAL ソード・シールド』6巻,p98)
というセリフのように、「行為の結果」がどうなるのかはわからないのですから。
人知を超えた「複雑さ」とは、「現実」に生きるものにとっては不安を喚起するだけのものではなく、身を委ねることのできる希望でもあるはずです。
そういえば奇しくも、旅立ちの日にしーちゃん(シルドミリア)がそんなことを言っていましたね。
「見る前に跳べ、よ!」*3
(『ポケットモンスターSPECIAL ソード・シールド』1巻,p34)
です。
これも剣盾編を密かに貫いているテーマだと思うのです。
まとめ
マスタード師匠のここのセリフはこうして考察してみてもやっぱり難解で、読み解いてみるのは(すごく大雑把にしかできませんでしたが)大変でした。
でも、こうしてみるととてもハッキリとした一本の軸を感じます。
この巻の内容からわたしは本誌連載を追うようになったのですが、こうして単行本として改めて読み直すとヨロイ島編は1巻を費やすにふさわしいエピソードだったと思いました。
先行シングルの曲を後にアルバムの通しとして聴き直すと新しい発見がある、みたいな感じ?
サブスク&ストリーミング全盛の今じゃもうこんな例えは通じないか
以下、余談のコーナー。
もうこんなところまで読んでくださる方にはこれくらい書いてもいいだろう、みたいな内容です。
お読みいただきありがとうございました。
それでは〜!
おまけのコーナー
①「目的」は「手段」を肯定しない、というテーマは変奏され続けている
このブログを書き始めて以来、ずーっと一人で議論し続けている*4のですが、
B2W2編以降、「目的」が「手段」を肯定することで暴力や破壊がもたらされる
(記事によっては「(目的=)大義」が「手段」の「結果」を見えなくすることで暴力や破壊がもたらされる、と表現している)
というテーマはポケスペでずーっと繰り返されていると思うのです。
ゲーチスは「ポケモンの解放」という「大義」を掲げることで「略奪や支配を正当化」しましたし、
フラダリもまた「美しいカロスを取り戻す」という「大義」によって「略奪や破壊を正当化」しましたね。
(↓この辺で書いています)
【ポケスペ考察】フラダリとは、フレア団とは何だったのか - けいのブログ
ORAS編ではさらに一歩踏み込んで、大胆にもデボン社とフレア団を対比させることで
掲げる「大義」が「善意や正義」みたいなものであったとしても、容易に同じ穴の狢となってしまう
ことを描写しています。
本当に容赦ないよねぇ…
ちなみにこういう記事は本当に反応がないので、もしほんの少しでも「面白かった」みたいに思ってもらえたらこの記事のツイートにでもいいねを付けて下さると嬉しいです。
よろしくお願いします。
6巻を読んで改めて考えてみました#ポケSP
— けいちゃん (@keypksp) 2023年1月29日
【ポケスペ考察】マスタード師匠の問答を考える - けいのブログhttps://t.co/eTlAV02NgE
話が逸れました。
で、剣盾編でもローズ委員長がそうした役回りをしています。
しかし剣盾編が面白いのは、そのアンチテーゼを務めているであろうマスタード師匠がこれまでのキャラたちとは違うアプローチを取っていることだと思うのです。
で、そのアプローチとは本文で書いたように、
反対の主張を強くぶつけるのではなく
「世界はそういう風にはできていないのでは?」とやんわりと示唆し、
そして、戦う方法としては人を導くことを選ぶ
といった、「柔らかい」アプローチです。
これはすごく難しいアプローチであり、おまけに「バトルもの」の漫画でそれを描くのはさらに困難だと思うのだけれど、マスタード師匠がその役割の担い手というのはすごくしっくり来るのです。
ゲームで描写されたノリの軽さを、こういう風に「柔らかい師匠/達人」としてアレンジしてしまうのは本当にポケスペの描写の巧みさだと思います。
創人のダクマが「れんげきのかた」のウーラオスに進化したのも、まるでマスタード師匠の「柔らかさ」をちゃんと継承したかのようで説得力を感じますしね。
と言いつつ、みず・かくとうの複合タイプというのが何だかレッドのニョロとの関連性を感じるけど、気のせいだよね
②マスタード師匠はなぜ難解な言い方を好むのか?
これはマスタード師匠が「教える」ことより「導く」ことを重視しているからだと思います。
とか書きつつも、もうこれ以上は書く元気がないので今回はここまで…
…今更になって逃げ道を作っておくけど、この記事はそもそもまだ完結していない章について書いているので素っ頓狂なことを書いている可能性は十分にあるよ!
ご了承ください。
それでは〜!