【ポケスペ考察】マナブ、サン、エックスの系譜を辿る
■近年のポケスペに度々現れる“少年漫画らしくなさ”を、山本サトシ先生のプレイリストから考えてみる。
はじめに
※注意点※
最初に断っておかなくてはならないのは、この考察はあくまで、
山本先生のTwitterで触れられた「非公式ネタ」に基づいている点である。
ここで扱う曲は別に公式に設定されたものではないので、
ポケSPedia等の「公式の情報」と混同されないよう注意されたし。
つまり、今回の記事は
話半分に聞いてください
ということである。
山本先生のプレイリスト'22
ポケットモンスターSPECIALのまんが(作画)担当の山本サトシ先生は、
1年に1回程度のペースで「ポケスペ脳内主題歌」なるプレイリストを自身のTwitterにて公開している。
例えば、2022年版がこちら。
新年あけおめです。
— 山本サトシ (@satoshi_swalot) 2022年1月1日
毎年正月恒例ポケスペ脳内主題歌、今年も5曲増えました。過去に上げた分に加え、今月末発売のポケスぺ剣盾4巻に収録のエピソード23で書いたネズさんのあまたの名曲の元ネタも再掲。 pic.twitter.com/3AJD0Df5UG
イメージ通りの曲があったり、反対に意外な選曲になっていたりと、
一聴の価値があるので気になる人は是非。
細かいところだと、山本先生の世代ゆえの選曲(?)…例えば頭脳警察(PANTA)とかがある一方で、
きのこ帝国とかうみのてとか
THE BACK HORNとかamazarashiとかの“20〜30代っぽい”曲があったり、
痛郎とかJAPONESIAN BALLS FOUNDATIONとかの、
私は名前すら全く聴いたこともないアーティストがいたりと、
幅広く選曲されているのが面白い。
どれも子ども向けではない*1なぁ
衝撃のマナブ主題歌
と、前置きはこれくらいにしておいて、主題へ。
まずはこれを聴いてみてください。音量注意!です。
何もしないお前に何がわかる 何もしないお前の何が変わる/SLANG
これが
「剣盾#2のマナブくんへ」
である。
これがマナブの主題歌…なのだろうか?だとすると、随分激しい主題歌である…
何もしないお前に何がわかる 何もしないお前の何が変わる
ここで一つの疑問がある。
「マナブくんへ」の「へ」は何を意味するのだろうか?
これは山本先生からのメッセージなのだろうか?
#2のマナブとは、初めてのポケモンバトルに身がすくみ、
「知識」と「実際の体験」の差に戸惑う人物として描写されている。
ただ、最終的には周りの支えもありバトルにも旅にも飛び込んでいき、
後の変化への第一歩を踏み出していく。
そこから考えると、
この曲のタイトルであり、歌い出しの歌詞の一部である
「何もしないお前に何がわかる 何もしないお前の何が変わる」
とは、
「知識」ばかりで、
バトルでも旅でも実際にはすくんで
動けない(/かった)マナブの姿
と言えそうである。
そうだとすると、曲調や「へ」=メッセージ説と合わせて考えると、
これは(随分手荒な(?))激励である、のかもしれない。
この#2ではしーちゃん(シルドミリア)が「見る前に跳べ、よ!」*2(p34)と言っており、それとも整合する。
動き出さないことには何も始まらない、と。
マナブの秘められた怒り?
ただ、私はここにちょっと違う視点も持ち込んでみたい。
この曲のコーラス(=サビ)は
くそ くそ くそ くそ
と、まるで怒りや憤りといった
「どうしようもない感情」を
「何か」にぶつけているように感じるものである。
対象を示さずに「くそ」というような「どうしようもない感情」を込めた言葉を言い放つ場合、大抵
その対象とは自分自身
ではないだろうか?
それが例えば他人であれば、「くそ“野郎”」とかとなるはずである。Pierdol się
つまり、この曲は
マナブの「自分に対する苛立ち」も示している
ように私は感じるのである。
その根拠の一つが、マナブが登校拒否児であることが示唆されている点である。
登校拒否児が全員が全員そうであるとは言わないが、こうした子どもの内面では多くの場合、
「ふつうでいられないこと」
「親や周囲の期待に応えられていないこと」
などが恥、劣等感や挫折感として渦巻いていて、やりどころのない感情が生じているはずである。
私はこれに関して、
そんな時は「自分に対して」強い失望感や怒りが抑えきれなくなる
ことをよく知っている。
そんなこと全く思わなくてもいいのにね。
だけどそういう最中にいる時は、
自分に対して「くそ」の一つでも言いたくなるし、
「何もしないお前に何がわかる 何もしないお前の何が変わる」なんて強い言葉を、
あたかも他人に向ける形で、本当は自分に向けて言いたくなる。
だから、私はこの曲は、マナブの秘めている自分に対する強い怒りの曲でもあると思うのである。
そうなると、マナブのイメージに合わないような曲調の激しさも納得できる。
この曲調の激しさは、マナブの抱えているものの激しさを暗示しているように思うのである。
どんなに外面は礼儀正しくおとなしい子どもでも、内面には驚くほど強い怒りや感情が渦巻いている場合がある。
それを意識していないと、子どもの感情を大きく見逃してしまうことがある。
それは、結構危ないことである。
もちろん、子ども自身がそれを意識していないことがある。というか、ほとんどの場合そうであろう。
そこから考えると、山本先生の「マナブくんへ」の「へ」とは、それを
“人生のちょっと先にいる人(先輩?)として”こっそり教えてあげる
というメッセージとしての「へ」
なのかもしれない。
音楽とはそれにふさわしいツールであり、
人(/オタク)はこれを布教と呼んだりする。
音楽じゃないけどみんなポケスペ読もうぜ!
近年のポケスペに見る“少年漫画”らしくなさ
正直な感覚として、こうした視点やテーマはあまり少年漫画らしくないと感じる。
私はそっちの方が大好物なのだが。
イメージとしては、小学生を対象にしている少年漫画ですら、既に、もう少し対象年齢が高い作品にあるようなわかりやすい勧善懲悪だとか、もっと「男らしさ」や「強さ」を志向・強調するようなものの方が好まれそうな感じ*3がある。
このことを雑に言うと、
少年漫画では(却って)
「社会の規範に沿ったテーマ」が好まれる
だろうか。
コロコロコミックに載っている作品(今のものは全く知らないが)をイメージしてもらえれば、
私の言いたいことは何となくピンと来てもらえるだろうか。
そこから考えると、マナブの登校拒否なんか普通には絶対に選ばれないテーマである。
ましてや、そこに「何もしないお前に何がわかる 何もしないお前の何が変わる」なんて主題歌を被せるのも。さすがポケスペ
ただし、ポケスペにおいてはこれは別にそこまで珍しい話ではない。
簡単に探しただけで、エックスのキャラ造形、サン・フラン(ミミッキュ)・リーリエの関係など、
おおよそ普通の少年漫画では選ばれないテーマが、特に近年は頻出している。
今回の後半は、
この「らしくない系譜」を、
時にプレイリストを参照しつつ簡単に辿ってみたいと思う。
エックスのキャラ造形
エックスは、5年にわたる引きこもりという、少年漫画としては異色中の異色な主人公である。
ストーリーの構造におけるエックスのキャラ造形の「妙」は、フラダリ・フレア団考察の際に論じたので詳しくはそちらを参照してほしい。
今回取り上げたいのは、ストーリー的な構造論ではなく
「一人の人間として見た時のエックス」の造形や描写の素晴らしさ
について、である。
それはどこかと言うと、「引きこもり」という設定を使っていながら
社会不適合者が実はすごい力を秘めていて、その力で無双して一発逆転し高い地位や名誉を得る
みたいな
「“安易な”成功のストーリー」
に乗っからないところである。
別にこうした構図を導入している作品を否定する気はないが、ここには重要な見落としがある。
「引きこもり」という設定が、ただのハンデ−−−「ゴール」をより劇的に見せるための−−−に成り下がっているところである。
そうした設定を俯瞰して見ると、それは結局「『社会の規範』に適応した姿」に過ぎない。
「引きこもり」というものを
「『社会の規範』に対する抵抗」*4
として捉えていない。
こういうのは、
例えば陸上競技においてスタートラインを他の人より後ろにして、その上でぶっちぎりでゴールすることで速さ(能力)を強調しているだとか、
単純にただの発条(ばね)と捉えるのが正しい*5。
「引きこもり」にも色々な種類はあるが、エックスの「5年もただじっとしている」というのは決してただの挫折ではない。
ここには明確に、抵抗というメッセージがある。
「おかしな現実」に順応するくらいなら、
例え死んだってじっとしている方がマシだ
とでもいうような。
エックスの旅路が、このことを証明している。
エックスたちの旅路は常に抵抗の色彩を帯びていた(59巻の作者コメントはそれを示唆している)。
また、物語の結末も「ある絶望」に対して抵抗して終わる、というものである。
エックスにとって「現実」とは、
「順応するもの」ではなく*6、
おかしい/合わない
と感じるのであれば
全身で抵抗する
ものとして、終始一貫して描写されている。
この態度と、「引きこもり」という態度は強く整合している。
こうした時にはじめて「引きこもり」という設定が“ほんとうの力”を帯び得る、と言えるのではないだろうか?
その(逆説的な?)証拠に、エックスたちは最後ゲーム版と異なり、名誉の受け取りを拒否*7する。
エックスたちが代わりに手にしたのは、自分たちが生きていくことのできる、小さな、けれど確かな空間である。
これはまさに
「抵抗の(=引きこもりの)物語」の理想的な帰結であり、
それは決して「現実への順応」ではない。
エックスとプレイリスト
この設定と態度は、私にとって極めて信用できるものである。
ここに「誠実でいてくれるおかげ」で、エックスやストーリーに“ちゃんと”感情移入することができる。
ただ、やはり少年漫画らしくない。
多分、同じ設定を使うとほぼ全ての漫画では「社会復帰」とか「一発逆転」とかの方に行ってしまいそうな気がする。
XY編は舞台の設定があまりにもシリアスで(詳しくは上記フラダリ・フレア団論をチェック!)、
そっちには行きたくても行けない、というのもあるのだろうけれど。
ここからは、プレイリストをチェックしてみる。
初期エックスの主題歌として挙げられているのは、以下の4曲である。
夏を待っていました/amazarashi
忘却の果て/痛郎
ダメになってもいいですか?/MOGA THE ¥5
※痛郎は公式見つからないので割愛
※唯一リアルタイムで聴いたことのある曲。最初聴いた時に衝撃的で、しばらくずっと聴いていたのを思い出す
マナブ(SLANG)との比較でいうと、私は自責的・内省的な曲が並んでいると感じる。
ここがマナブとエックスの違いだろうと思う。
登校拒否/引きこもりという近いテーマであっても、心情面では違いが感じられる。
自分に怒りが向いているのは同じでも、マナブはそのままならなさに振り回されていて、
エックスは怒りを抱いたまま自分の内へ閉じこもる方へと進んでいるように見える。
そしてその姿とは、作中で描写されている姿とも重なっていると私は思う。
プレイリストを参照することで、こうした違いに想いを馳せられるのは面白い。
サンの励まし
最後はサンである。
私がここで取り上げたいのは、
サン・ムーン編3巻
#17 突入!!ポータウン! での
フラン(ミミッキュ)(/そして、リーリエ)への励まし方である。(p91-96)
あまりにも名セリフ・名シーンなので、ここでは詳細は引用しない*8。
未読の人はぜひ単行本を買ってください。
端的に言うと、
“イマドキの励まし方”として、
百点満点どころか百二十点満点ぐらいの満点解答的な言葉選びの励まし方
なのである。
ここで語られる言葉は、内面と外面のギャップに苦しんでいる人(/ポケモン)に対して、
これ以上の声掛けはないんじゃなかろうか、というものである。
だから、やはり少年漫画らしくない。
本当に励ます、ということ
“ふつう”こういう時は、
「社会に適応するような形」への誘導を含むような言葉
で励ます(/してしまう)ように思う。
「そういう抑圧に負けないくらい強くなれ!」
とか、
「馬鹿にする奴を見返してやれ」
とか、
「辛い想いをした人だけが強くなれる」
みたいな。
こういう励ましを十把一絡げに無駄とは言えない*9が*10、やはり見落としがある。
「本当に励ます」というのは、
問題を見ない方に誘導することではなく、
苦しむ人に共感し、問題に一緒に寄りそう姿勢を見せること
ではないだろうか?
サンの励まし方は、後者のど真ん中を行っている。
だから、フランやリーリエの心を開けたのだと私は思うのである。
ひねくれていてすみません
山本先生のプレイリストにはないけれど、これを的確に表した曲がある。
ポケモンファンにはこっちの方が有名だよね?GOTCHA!
アカシア/BUMP OF CHICKEN
2番のコーラスより
転んだら手を貸してもらうよりも
優しい言葉選んでもらうよりも
隣で(隣で)
信じて欲しいんだ
どこまでも一緒にいけると
私はサンの姿勢/フラン、リーリエの気持ちは、ここで歌われている「して欲しいこと」とすごく重なって見える。
「こういう(/する)こと」が、
「人が最も励まされること」
ではないだろうか?
とはいえ、このことは口で言うのは容易いが行うのは極めて難しい。
自分を信じられない人間が他人を信じるとか無理ゲーなんだよなぁ…まずは自分を大事にしていこうね…
もう一つ言うと、このことは正論ではあれど少し偽善くさい。
念のため言っておくと、これは
「サンが偽善くさい」
「BUMP OF CHICKENが偽善くさい」
ではなく、
「コンテキストから切り離すと、
言葉が偽善くさく聞こえてしまう時がある」
である。
ただし、これは私がひねくれているせいです。本当にすみません。
ポリコレ的正解っぽさが苦手というか、「言葉というもの」自体をどうしてもどこか疑ってしまう自分がいる。
ただ、初見の際にジーンときた自分もいるのも偽らざる事実なのである。
それはなぜかと考えると、先の反対に「コンテキストがあったから」で、
つまり、
サンが言ったから
だと考えている。
サンはモラリスト(他にふさわしい言葉を思いつかなかった。すみません)ではなく、徹底した守銭奴である。
そんな彼が、ポリコレ的発言をするとは考えにくい*11。
また、このシーンではフランに対して正直な態度で臨んでいる。
そうなると、語られる言葉は「社会の規範」に沿ったものではなく、
ちゃんと「サンの心から生じた感情」に沿っているはずである。
少なくとも、私はそう感じた。
言葉とは、そうした条件が揃ったその時に
はじめて言葉として力を持つ
と、私は思うのである。
だから、私はサンのセリフを「優等生的発言」ではなく
「生きた良いセリフ」と感じたのだと思う。
そしてそれはやはり、エックスからマナブに続いていくような「少年漫画らしくなさ」だと思うのである。
ただ、繰り返しになるが、私にとってそれは信頼できる態度で、何より大好物なのである。
まとめ
サンについてはいずれ一度まとめてみようと考えているので、詳しくはその時に。
サンも好きなキャラなのです。
剣盾編4巻(の電子版)が2/4に、
通巻版のXY編最終巻である61巻が2/28に出る2022年の2月というこのタイミングで、
簡単にではあれどこの両者を同時に強引に語れたのは、思いつきから見切り発車でスタートした割にはそれなりの場所に着地できたと思う。
それらを未読&まだ予約していない人は、今すぐポチりましょう。
それではまた次回に。
ここまで読んでいただきありがとうございました。以下、少しオマケあり。
おまけ:個人的ポケスペプレイリスト
これは完全に私の主観100%のプレイリスト(の一部)である。
誰も興味ないと思うけど余興として載せておいてみる。
選曲の理由は特に書きません。
可能な限り山本先生の選んでいるアーティストに限ろうと思ったけれど、一部例外あり。
まぁ、ジャンルとして近いアーティストばかりにしたので許してください…
レッド:ヒーロー/amazarashi/メッセージボトル(2017)
イエロー:卯月の頃/Cocco/サングローズ(2000)
つづら折り/女王蜂/Q(2017)
自虐家のアリー/amazarashi/季節は次々死んで行く-EP(2015)
プラチナ:宇宙飛行士への手紙/BUMP OF CHICKEN/COSMONAUT(2010)
ラクツ:Psychopolice/9mm Parabellum Bullet/Termination(2007)
<レッド>
<イエロー>
<プラチナ>
■テキスト“が”元になったものはこちら。PC推奨。
(現在準備中)
*1:ポケスペを「子ども騙し」ではなく、「(大人げなく=)手抜きせずに」描いているってことだよね
*2:これ、何か元ネタありそうな気配がする
*3:多分、青年向けくらいまで行けばこの傾向はある程度弱まる、はず?
*4:抵抗と言ってもそれは「消極的な抵抗」であり、無力さによる一種の自傷でもある
*5:繰り返すが、別に否定も非難もしているわけではない。ただ、私にとって「それら」は、後述の「抵抗としての引きこもり」とは違うように感じるのである
*6:ここで「順応する人」というのがフレア団の協力者たちであり、その正体である
*7:私は「名誉」自体は否定しない。けれど、XY編のように「支配の終わっていないカロス」で受け取ることのできる「名誉」には意味がないと思う
*8:では引用するセリフはイマイチだから引用している、ということではない。決して!当たり前だよ!
*9:私は無駄だと思っている
*10:実際には、コミュニケーションにはコンテキストがあり、そこを抜きにして語ることはできないためである。が、これが有効なコンテキストというものが思いつかないのも事実である